2017年2月11日土曜日

栃木市の『蔵の街』へ



伝統的建造物群保存地区制度は、城下町,宿場町,門前町など全国各地に残る歴史的な集落・町並みの保存を図ることを目的として、文化財保護法の定めにより、市町村が伝統的建造物群保存地区を決定し、条例に基づき保存計画を定めるものです。このうち、国が特に価値が高いと判断した地区につき、その保存・活用・修理・修景に対して、文化庁が指導・助言を行うのが『重要伝統的建造物群保存地区』で、この記事を書いている平成二十九年一月末現在、全国で112地区(43道府県92市町村)が選定されています。

このうち、関東にある重要伝統的建造物群保存地区は、群馬県に二箇所(中之条町六合赤岩地区と桐生市桐生新町)、茨城県・栃木県・埼玉県・千葉県にそれぞれ一箇所(桜川市真壁・栃木市嘉右衛門町・川越市川越・香取市佐原)の計六箇所。休日ともなれば観光客がごった返す、川越の蔵の街の見事さは言うまでもないことですが、以前に訪れた佐原と真壁は特に、長い風雪に耐えた建物が醸し出す、威厳を湛えた商家や蔵が多く、単にレトロっぽい物が並ぶ町ということだけではない、しっとりとした趣が感じられる街でした。実は四年前記事にした渋峠の帰路、赤岩も通っている筈なのですが、あいにくこちらはほとんど写真を撮っていません(コレとかコレとか)。電車の時間を気にしながらの弾丸輪行だったので、記憶に残らなかったのかな?養蚕集落なら、昨年末の南牧村の風景が、強く印象に残っています。

結構、行ってますね。。。(^ ^;)
あとは桐生と栃木市でコンプリートかぁ・・・

そこで今回は、栃木市の蔵の街まで、一筆書きで往復するライドに出掛けてみた次第。



AM 3:30  是政橋を渡る        右は航空公園のYS-11


馴れた上麻生線は帰路にとっておくことにして、気力の充実している往路では、こどもの国経由で鶴川街道に向かいます。二時出発。上はインナー+ジャージ+ライダーズ・ジャケット+ダウン・パーカー、下はインナー+ビブタイツ+トレッキング・パンツという防寒フル装備。気温は2℃。前夜の予報は氷点下だったのでそれよりはましですが、真光時の坂で搔いた汗が、稲城への下りで冷えて、流石に寒~い!{{(>_<)}}
是政橋からは府中街道~かわとこ線という、最近北へ向かう際に使っている定番ルートへ。体が温まったので、府中駅近くでダウン・パーカーをバックパックへ仕舞います。航空公園駅前のYS-11を背に写真を撮ってから、灯も疎らなかわとこ線へ。フラッシャーを三個装備しているものの、夜明け直前の一番暗い時間帯なので、タイヤ音が迫ると一瞬、緊張します。始発に急ぐ人が目立つ川越駅前を過ぎ、五時半前「蔵の街」へ。通りに沿って並ぶ灯に浮かぶ見世蔵は、昼とはまた一味違う重厚な趣を感じさせます。
観光客の姿が一切ない蔵の街を撮影できる機会なんて、そうめったにあるものではないので、自転車を停めて色々試してみますが・・・実はライドの直前に愛用のカメラを壊してしまい、急遽いにしえのLumix FS-3を引っ張り出したのですが、このカメラの高感度モードはノイズが大きくて・・・
上手く固定できるものがあれば、シャッタースピード遅くても何とかなるのですが。


【川越・仲町~札の辻】




払暁の蔵の街    昼の喧騒とは打って変わった雰囲気


神明町を曲がって川栗線へ。
二車線の国道は、追い越されるトラックとの速度差が大きいので敬遠し、わざわざ県道へと逃げたのですが・・・夜明け前の川栗線は、トラックだらけです。。。道幅が狭い分、失敗だったかな?
二週間ぶりの太郎衛門橋で荒川を渡り、川田谷からr57さいたま鴻巣線へ。合流・分岐が多くてわかりづらい道。度々止まって地図を確認しますが、案の定、道を間違えました・・・ケヤキの巨木が印象的な氷川神社の北側、高尾二丁目交差点を右折すべきだったのですが、前夜作成したルートチャートの誤記が祟って、ひたすらに北進。御成橋の西詰に出てしまいました。

三年前の一都六県一筆書きでも使った、馴染みのある道を走り鴻巣の街へ。高崎線の跨線橋を渡ると、長かった夜が白々と明けました。部活へ急ぐらしい高校生のママチャリの群れに混じり、中山道のバイパスを横切ります。r38加須県道へ。側方間隔ギリギリで追い越してゆくトラックの川に流されるように、利根川水系の支流や用水路に架かる無数の狭い橋を越えてゆきます。星川・備前堀川・青毛堀川などなど・・・川の名前は味があるのですが、極狭の路側に散らばるガラス片や、一瞬吸い込まれそうになるほど仮借ない間隔と速度で抜いてゆくトレーラーに、一瞬も緊張を緩める事が出来ない行程が続きます。ふと、彼方の地平線へ視線を上げると、雪を頂く綺麗な円錐台形の山が見えました。最初脳裏に浮かんだのは「榛名富士」でしたが、なんとなく、方向が違うなあ・・・?


AM6:00荒川を渡る北本・氷川神社のケヤキ

高崎線の跨線橋の上での夜明け410ブルの珍しい2Dr


「パシュっ!パシュっ!!パシュっ!!!」「プアーーーーーーーーーンっっ!!!」
背後に気配を感じる度、転倒の危険がある段差を越えて、歩道へ逃げ込まざるを得ません。わかりましたごめんなさいもうしませんからゆるしてください!(涙
祈るような気持ちで走り続けたので、田圃の彼方に騎西の家々が見えた時にはホッとしました。
・・・トラックが納入先へ急ぐこの時間帯に加須県道を走るのは、金輪際やめておこう。。。(T T)
七時過ぎに騎西城前に着いて、写真を一枚。帰ってから見直すと、一都六県の時に撮ったのと寸分違わず同じ構図。ホント、進歩がない・・・(>_<;)
十分と漕がず加須。古色蒼然とした町屋が向かい合う辻を東に折れると、立派な土蔵が目に留まりました。路傍に立つ案内板によると、文久二年(1862年)日本橋で作られた山車を、この中に収めている由。明治の中頃すでに電線が張り巡らされていた東京の日本橋では、祭りの際もこの山車を引き回せなくなり、持て余されていたものを、当地の人が聞きつけ買い求めた・・・という経緯が面白いです。江戸川を使って関宿まで船で運び、馬車ではるばる加須まで運んだとのこと。



円錐台の山が近づく騎西城の模擬天守加須本町にある、山車を収める蔵



田圃と、田圃と、田圃と、瓦葺き農家の風景、ふたたび。
行田バイパスを渡って街を出ると、利根川まではあと少し。後ろから轟くパシュッパシュッ!に深い疲労を感じつつも、時計の針はまだ八時を指しているので、最初の道の駅はスルー。
いよいよ本日の最難関・埼玉大橋へ。
前回工事中だった歩道は、ガードパイプが撤去され若干幅が広がっていますが、それでも1.5mほど。ポストフレックスの向こうは車が切れ間なく飛ばしていて、橋の向こう側から人が来たらどうするんだよ・・・と思いつつ、冷や冷やペダルを漕ぎ進めると・・・

前方彼方に、橋に這い上がりつつあるママチャリの姿を認め、慄然・・・

ポストフレックスの間に身を潜め、自転車を停めて待つことしばし。作業着姿のアジア系の男性二人が、「ド~モ、すみませ~ん!」とすれ違って行きました。
どういたしまして。



三年前に比べると格段に、走りやすくなった埼玉大橋


前回北川辺を走った時には、見渡す限りの田圃一枚毎に一羽、まるで歩哨のように白鷺が立っていて、それは壮観でした。が、今日は・・・いませんな。(^ ^;)
八時半前に長かった埼玉県を脱出して、渡良瀬緑地へ。堤防に駆け上がると、ハート型の遊水地を見渡すことができる・・・と、ブログ的にも美味しい写真が撮れるのですが、なにせ東京ドームの約700倍の面積なので、さすがにそれは無理というもの。
とはいえ、栃木・群馬・埼玉・茨城の県境が複雑に入り組んでいるので、カントリーサイン収集には絶好の場所ですよ!?

八時半前、道の駅きたかわべに到着。十分ほど休憩して、各方面に定時連絡をば。
既に太ももが重く張った感じで、マッサージしながら道順を確認します。GPSの距離計は100キロちょうど。ルートチャートと対照すると、栃木市街まではまだ20キロほどあることが分かりました。

ホントに、完走できるんだろうか・・・?と、不安が胸をよぎります。


【渡良瀬遊水地 】




遊水地南端・ハート型をした「渡良瀬貯水池」(谷中湖)を真直ぐ貫く管理道路

円錐台の山を正面に見ながら自転車を走らせる  やっと、日光男体山であることに気がつきました・・・


谷中湖の堤防の道から、渡良瀬遊水地の西岸に沿う県道へ。刷毛で一なでしたように雪を頂く、円錐台の山を正面に見ながら、ペダルを回します。
榛名山だとするなら西に見えなければおかしいので、目指す北の方角に聳えるこの山は、日光の男体山なのだろうと、ようやく気が付きました。三年前のライドの際道を間違えた藤岡橋で、渡良瀬川を渡ります。
藤岡の街を抜けると、防風林を真直ぐ北に向かう道。冬枯れした枝が青空に映えます。朝食を摂りつつ、座って休憩できる店を探しながら自転車を走らせていますが、そういうお店は都合良く現れてはくれず・・・例によって仕方なしに、コンビニの前で立ったままの朝ごはん。幼稚園へ子供を送った帰りと思しいお母さんたちが、家事や育児をグチりあう傍らで、サンドイッチを頬張ります。いずこも悩みは同じですな。



渡良瀬橋の夕日を見たいところですが・・・(ちなみに、歌碑は⇒ココ)


下野の風に吹きさらされて、漕げども漕げども変わらない田圃の風景の中を北へ。岩舟町の辺りで、あまりに進まないので自転車を停めて各部を点検しますが、特に異常はナシ。東風なのでこれが抵抗になるとも思えません。平坦に見えても微妙に上っているのかも。
案の定、R50のバイパスを過ぎてしばらく走ると、西側のすぐ近くに山並みが現れました。太平山晃石山馬不入山はいずれも標高3~400mほどの山ですが、渡良瀬遊水地に注ぐ巴波川も思川も、これらを避けるように東に大きく迂回しているようです。
佐野からやって来た県道が交差する和泉町から北は、歴史的には日光例幣使街道と重なる部分なのですが、物流関係のトラックに代わってダンプカーの姿が目立つようになった二車線道路に、古の街道の面影を認めることは難しそうです。

もっとも、あたかも田圃の大海に浮かぶ島の様に、集落が点在する大きな景色は、見慣れた郊外のベッドタウンとは全く異質なのも事実。自転車を漕ぎ続けると、田圃の彼方にやがて防風林が現れ、街や集落に「入って」ゆく感覚、そしてほどなく、町や集落から「出て」しまう感覚は、北関東の地方道を自転車で走るからこそ味わえる贅沢・・・なのかもしれません。


【巴波川沿いの見世蔵】




巴波川の幸来橋付近にある登録有形文化財「塚田歴史伝説館」



江戸時代後期に利根水運を利用した木材回漕問屋で財を成した塚田家の蔵が並ぶ一角


館内には8つの白壁土蔵  手前の黒塀の長さはおよそ120m!


ルートチャートを確認し、川連の交差点を右折して栃木翔南高校前を左折。東武線に沿ってしばらく走ったのち、両毛線の高架を潜って十時ちょうど、栃木市街へ入ります。渡良瀬貯水池からの20キロが、とても長く感じられました。
ここからは栃木市観光協会さまの公式サイトにある『蔵の街・のんびり散策マップ』のモデルコースに沿って、見学することにします。
まずは巴波川沿いの散策路へ。公衆トイレまで蔵の形しているのね(笑)

幸来橋まで来ると、対岸に延びる長い黒塀の向こうに、白壁の土蔵が並んでいるのが見えました。
「塚田歴史伝説館」は江戸時代後期・弘化年間(1844~1848年)から木材回漕問屋を営んで財を成した豪商・塚田家の屋敷跡で、目に眩しいほど白い土壁と、黒光りする瓦のコントラストが印象的です。当時は木材を筏に組んで巴波川から利根川を経由し、江戸深川の木場まで、行きは一昼夜、帰りは三日三晩をかけて運んでいたとのこと。塚田歴史伝説館前は巴波川めぐりの遊覧船の発着場になっていて、賑やかです。




左岸の遊歩道をやや北へ走ってから、市の中心を南北に貫く大通りへと出て、「とちぎ蔵の街観光館」へ。明治三十七年(1904年)に建てられた荒物・麻苧問屋、田村家の見世蔵を観光案内所として利用しているそうです。
順路としては「あだち好古館」が次ですが、うっかりしてスルー・・・パンフによると、江戸末期から呉服問屋を営んでいた安達幸七が蒐集した浮世絵や書画、彫刻、古美術品が展示され、敷地の大通り側に建つ大正十二年(1923年)築の二階建ての洋館は、国の登録有形文化財に指定されているとのこと。

山車会館の敷地を通ってみつわ通りに出、200年前に建てられた土蔵を改修した「とちぎ蔵の街美術館」・通称「おたすけ蔵」へ。


【蔵の街大通り】




左写真・真ん中の黒壁の建物が登録有形文化財・佐藤家住宅  明治中期築の切妻・平入の土蔵造


明治37年(1904年)築の見世蔵を利用した「蔵の街観光館」(左)と間口桁行7間半の大型町家・櫻井肥料店間(右)は共に登録有形文化財


下野新聞・栃木支局は肥料商・毛塚惣八が文久元年(1861年)に建てたという見世蔵を拠点に取材中!


黒漆喰仕上げの土壁が特徴的な、善野家の三棟の土蔵は、市内に現存する400を超える蔵の中で最も古く、大規模で、市民には「おたすけ蔵」として知られています。
市の教育委員会が立てた案内板によると、善野家は江戸中期の延享年間(1744~1748年)より、米問屋の他、大名などを相手にした質屋も営んだ豪商で、蔵の名前は、江戸末期に困窮人救済のため多くの銭や米を放出したことに由来するとも、或いは失業者対策のため蔵の新築を行ったためであるとも云われるそうです。

  美術館は加藤土師萌・田村耕一といった、現代陶芸の巨人による常設展示品が充実しているそうで、車で来たならば是非見学しておきたいところですが、例によって自転車だと復路に要する時間が気になって・・・(T T)


【とちぎ蔵の街美術館(善野家土蔵・おたすけ蔵)】




左より西蔵(梁間三間・桁行八間)・中蔵・東蔵(いずれも梁間二間半・桁行六間)

美術館裏の喫茶店として営業するピンクの洋館は、もともと産婦人科医院として大正時代に建てられたものとのこと。後で書くように、明治初期には栃木県庁が置かれた街だけあって、モダンな洋館もここかしこに目にすることが出来ます。やはり立派な見世蔵で営業中の家具屋さんの角を曲がり、みつわ通りから再び巴波川べりに出ると、どっしりとした石造りの壁を持つ、蔵が二棟見えました。

「横山郷土館」は、巴波川の舟運を利用して苧麻問屋と銀行を営んでいた明治の豪商・横山家の店舗兼住居跡。鹿沼市で産する、薄っすら赤みを帯びた深岩石と呼ばれる凝灰岩で作られた蔵は、防火性を考慮したものと言われています。二棟の石蔵に挟まれて建つ二階建ての町屋は、明治四十二年(1909年)築・店舗裏は横山家の居宅になって居たとのこと。
重厚な瓦の黒光り、枝ぶりの良い松にチリ一つなく磨かれた格子戸という江戸情緒溢れる店構え。威風辺りを払うといった趣の、豪奢な建物はいずれも、文化庁の登録有形文化財に指定されているそうです。




【横山郷土館】




文庫蔵(左)・麻蔵(右)として使われた間口四間・奥行き五間の石蔵  両袖切妻造の店舗を中心にシンメトリーの外観

忙しくビンディングを嵌めたり外したりしながら、200mほど西に進むと、沢山の錦鯉が泳ぐ「県庁掘」に出ます。幅3~5mほどの堀の中に建つ二階建ての洋館は、大正十二年(1921年)築の旧栃木町役場庁舎。地元の技師・堀井寅吉の設計によるもので、一階が横羽目板張り、二階が漆喰壁のハーフティンバーという外壁の羽目板と柱が、鮮やかな青緑色に塗られています。ファサードに回るととても狭い車回し。道路の反対に引き仰ぎ見ると、屋根の上に愛らしい時計台を備えるのが分かりました。

町役場が建つ地所なのに何故、「県庁掘」かといえば、明治十六年(1883年)までココに県庁が置かれていたから。栃木県令に就任した翌年(明治十七年)に、県庁を現在の宇都宮に移してしまったのは、強権で名高いあの、三島通庸です。一説には、当時の栃木町で自由民権派が強い勢いを持っていたのを嫌ったため、とも謂われます。ご存知「萬世大路」や会津三方道路の建設を強行して、「土木県令」の異名を持つ三島は、山形・福島県令時代と同様、ここでも自由民権派を厳しく弾圧しました。余談ではありますが、民権派はその宇都宮での県庁落成時に、三島県令や重臣たちの爆殺を謀るも、事前に発覚し計画は失敗。16人の活動家が筑波の加波山に立て籠もり官憲と戦う、加波山事件へと繋がってゆきます。土坂峠の帰路、秩父事件の際決起の主力となった秩父市吉田地区に寄ってたりとか、筑波山の稜線の林道(筑波北部稜線林道・丸山林道)を走った際に加波山も走ってたりとか、明治の激化事件つながりでも結構色んなトコ、行ってますねぇ・・・

・・・こんな歴史を知ってか知らずか、堀の中では冬の陽を浴びて、色とりどりの錦鯉がのんびり憩っていました。
旧町役場庁舎は登録有形文化財・「県庁掘」は県指定文化財(史跡)とのこと。

【旧栃木町役場と県庁掘り】







堀に沿って走ると、案内パンフに無い洋館が。橙色の柱や窓枠がオシャレな県立栃木高校記念図書館。
大正三年(1914年)、旧制栃木中学校の同窓の篤志により建てられたとのことで、当時専用の図書館を持つ学校はまだ珍しかったそうです。旧栃木町の文化的水準の高さを忍ばせる洋館はまだ他にもあって、蚤の市通りと巴波川の間の路地に立つ栃木病院の建物もその一つ。 一階の羽目板の壁と、二階の柱が青緑色に塗られている点は旧栃木町役場と同じですが、左右両翼から一段引っ込んだ玄関の上が、瀟洒な外廊下になっています。非常に狭い路地に面しているため、建物正面全体を写真に捉えることすら難しいですが、両翼の屋根がそれぞれ、北は入母屋風・南が切妻になっていたり、天窓や尖塔が突き出していたりと、非常に凝った造りです。いずれも登録有形文化財ですが、建てられた当時の用途そのままに、それぞれ学校・病院として現役に耐えている点が、いかに当時の設計・建築水準が高いものだったかを、物語っているようです。

大正三年築の旧栃木中学記念図書館例幣使街道に面して建つ舘野家住宅店舗


ハーフティンバーの壁に、凝った装飾が施された栃木病院は大正二年(1913年)築

栃木市は巴波川の水運と、日光例幣使街道の交点に発展した街です。

日光例幣使街道は江戸時代の脇街道の一つで、天明宿(佐野市)で千人同心街道と、栃木市の北隣・鹿沼市に入った楡木宿で壬生通り(日光西街道)と、それぞれ合流しながら、中山道の倉賀野宿(高崎市)と日光坊中の間を結んでいました。
例幣使とは、「幣帛」と呼ばれる奉物を持って朝廷から遣わされる勅使のこと。徳川家康が日光に葬られた後、朝廷からの使者が毎年、日光東照宮に通うのにこの道を使ったことが、街道名の由来です。

いよいよ、栃木宿の面影をもっとも良く残すという、冒頭に書いた重要伝統的建造物群保存地区・嘉右衛門町に入ります。JR栃木駅の北約1キロ、巴波川に架かる原ノ橋と万町交番交差点・東武日光線新栃木駅入口に囲まれた三角形の町がそれ。 交番がある大通りを横切ると、早速「日光例幣使街道」と刻まれた道標が。「舘野家住宅店舗」は昭和七年(1932年)築。二十ウン年前、中京圏の地方都市にある、こんな建物で働いていた私には、なんとなく懐かしく感じられました。これも登録有形文化財との由。
蔵の街大通に比べると遥かに狭い道は、巴波川の流れに寄り添うように曲がりくねっており、通りにせり出した軒の下に重厚な黒瓦や土塀の白さが覗いて、街道の景色に立体的な趣を添えています。

【栃木市嘉右衛門町・旧日光例幣使街道沿いの風景】




写真右・正面の二階家は大正十三年築の天海家住宅(登録有形文化財)

岡田記念館  岡田家は550年以上の歴史を持つ旧家
天正年間に当地を開墾した当主の名が町名の由来
畠山氏の知行の下、代官職を代行した岡田家の屋敷門
街道の開通とともに名主役・本陣を勤めたとのこと



岡田記念館の喫茶店(写真:左)と、現役の肥料屋さん(写真:右)

一時間半の見学の後、最後に蔵の街大通りを流して、栃木の町とお別れ。
重厚な見世蔵や、年月を感じさせる板壁のお店で営業する履物屋さんや呉服店・人形屋さんなど、ゆっくり見て回ればきっと面白い発見があると思うので名残惜しいですが、未だ行程の半分以上(130km)を残しているので、時間的にはギリギリ。十一時半に両毛線のガードを潜ります。

室町の交差点からはr153南小林栃木線へ。こちらも所々、土蔵の白壁が目を引きます。「岩下の新生姜」の看板を何度か目にしますが、この会社は栃木市が発祥なのだそうで。2キロほどで街を抜けると、あとは往路走ったr11と同じく、田んぼ、田んぼ、田んぼ・・・の景色。
否、こっちの方が遥かに、集落の間の距離が長いようです。。。

東の地平線上には筑波山。加波山の志士たちは、あんな遠くまで逃げて行ったのかぁ・・・漕げども漕げども景色に変化が乏しく、果たして本当に自転車が進んでいるのか、訝しく思います。決して多くはない交通量の大半をダンプカーが占め、狭い路側や歩道には異物が多く散らばっているので、田んぼの一本道の割に、意外に気が抜けません。午前中に比べやや風が強くなったこともあって、凹みます。
小山市境を越えるとシームレスにr174号南小林松原線へ。さすがに気温が上がって軽く汗ばんできたので、R50号の交差点でライダーズ・ジャケットとトレッキング・パンツを脱ぎ、ジャージとビブタイツ姿で帰路を急ぎます。相変わらず終わりのない田んぼの海を行くがごとくですが、南に下るにつれて、徐々に防風林と集落の密度が増えてきました。

集落の入口に道祖神や先祖代々のお墓があって、ごく短い家並みの前、きちんと手入れされた生垣を抜けると、また見渡す限り田んぼの景色・・・すっかり郊外のベッドタウンという色に塗りつぶされてしまった環境からは、失われて久しい雰囲気です。全く異質の風景の中、田んぼの果てにある終わりを求めて、懸命にペダルを漕いでいます(^ ^;)


右の一番高く見える山が大平山
登山道は紫陽花が綺麗とのこと
特徴的な筑波山の山容
40キロ近く離れていても一目瞭然
渡良瀬川支流・思川の橋の上から
彼方の山際までず~と田んぼ・・・


ようやく、渡良瀬遊水地の堤防が見えて来ました。十分ほど並行に走り、思川を越えてR4号へ。
栃木の街では昼食にはまだ早い時間だったので、そのまま南へと自転車を走らせましたが、道中食事できそうな場所は無く・・・古河の手前で佐野ラーメンの店があったのでペースを落としたものの、地球ロック出来そうな柵みたいなものが全く見当らないので、そのままスルー。。。旧道で市街へ入ればよかったのですが、現道でまた田んぼの一本道に誘導されてしまい、腹ペコのまま利根川橋へ。右を驀進するダンプカーの列が起こす振動に戦きながら、本日四回目の県境を越えて、久喜市へ入ります。
すぐにR125号からr3さいたま栗橋線へ。さっきの佐野ラーメンの看板で、頭の中はすっかりラーメンで固まってしまった(笑)ので、最初に見掛けたラーメン屋へ・・・チェーン店なので、お味の方はまあ、そこそこ。

三十分ほどの食事休憩の後、さい栗線へ復帰。皆さん、飛ばしますなぁ・・・好天だったにも関わらず、殆ど自転車の方とお会いしなかったような気がしますが、今日初めて何人かのローディーさんに追い越されました。自動車と遜色ないスピードに見えます。私は例によって、20km/hにも届かない速度で、道端をヨタヨタと・・・



13:00 利根川橋を渡り埼玉へ

なるべく千人同心街道を多く使って南に下るのが、横浜への最短距離の筈なのですが、そこはやはり、一筆書きにこだわりたい!・・・でも、日光街道やR122を使って都心を抜けるほど、体力に余裕があるわけでもないので・・・(^ ^;)
元気に排気ガスを吸いながらさい栗を南下し、十五時前R16へ。中山道に入る予定が、さいたま市に入る手前で曲がってしまいました。ルートチャート上で紛らわしい箇所に注意を払わなかったのが原因。一応は中山道と並行しているようなので上尾市内をそのまま南下し、「大宮あたりか?」と目星をつけた所で東に折れて進むと、正しく駅前に出ました。通勤・通学のラッシュには早い時間ですが、ロータリー周辺はやはり人通りが多く、走り辛いです。

北浦和の駅前までは中山道を南へ。月なかで営業車が少ないせいか、こちらは至極快適。15分ほどで行政道路へ出て、葉を落としたケヤキ並木を羽根倉橋へ。夕日を正面に見ながら、十六時に荒川を渡ります。 


大宮駅西側の武蔵一宮氷川神社・
氷川参道のケヤキ
ホントは大宮駅前には
出たくなかった・・・
16:00 羽根倉橋で荒川を渡る


橋からは割れたガラス片が散らばる歩道をヒヤヒヤしながら走って、上宗岡二丁目を左折、志木市街へ。志木街道へ入りたいのですが、参考にできるような標識が見当たらず、立ち止まって地図を広げること、再三再四・・・やはり駅前出てしまったので、ビンディング・シューズのヒヨコ歩きでロータリーを横断して、交番へ。おかげさまで、親切に教えて戴いた道順に従って、本来のルートへ復帰できましたm(_ _)m・・・でも、志木の駅周辺はスマホ逆走組が多くて、何度もヒヤッとさせられました!

GPSのトリップは200kmを越えて、そろそろお尻のサドルへの当たりが気になり始める距離。いよいよ始まった夕方の渋滞の脇を、頻繁にビンディングの付け外しを繰り返しながら、慎重に漕ぎ進めます。長命寺の交差点を左折する際、カーブの頂点で同じく左折してきたトレーラーに追い越されて、寿命が縮むほどビックリしました。無理に歩道との段差を乗越えなければ、巻き込まれてたところでした。

内輪差とか、チラとも考えてくれないのね・・・(T T)

最近、こういうことが多くなった気がします。経験・技量という点で、より熟練したドライバーさんが運転されているせいか、側方間隔などで厳しい制約を受ける筈の大きなトラックほど、実は、追い越し時に危険を感じる割合が少ないというのが、私が自転車旅で得た経験則なのですが・・・好景気の人手不足の影響が、こんなところにも現れているのでしょう・・・か?




清瀬からは小金井街道。交通量の割に道幅に余裕が無くて、本当に走り辛い道ですが、一筆書きする以上、ほかに選択肢はありません。南に下る10キロ足らずは、すり抜けしたくなる気持ちをひたすら我慢の道行。
遅々として進まないテールライトに焦れながらも、十七時半に武蔵小金井駅前を通過。光の洪水って感じで、田んぼの海とはまことに対照的。往路に使った府中街道が傍に迫っているので、これと交差しないよう気を付けながら、甲州街道を短く走って稲城大橋へ。
自転車は、どこを通ればいいのか・・・稲城大橋の歩道は、馴れた車道とは大いに勝手が異なり、戸惑います。やや強くなった風に煽られながら、こんな時間に自転車で渡ってみると、この橋が普通に『夜景がキレイな場所』となっていることに、今更ながら気が付きました。丘陵の闇の方が濃かったのは、そんなに昔のことではない筈ですが。

西詰の交差点に立つ、「府中街道⇒」の青看を信じて右折。車だと掘割の中を直進する方向の筈・・・ですが、疲労で判断力が落ちていたのかもしれません。
いつまで経っても、見慣れた景色が見えないな・・・と思いつつ自転車を走らせると・・・

ヤバイ!ここって、大丸・・・是政橋西詰の・・・のすぐそばじゃないか!!

一筆書きは破たん寸前!・・・慌てて、南武線のガード沿いの道へと進路を取り、元来た方へと引き返します。往路に使った交差点とは一つ違いで、府中街道というか、川崎街道へ。そうか、多摩川渡ったから「川崎街道」なのですね・・・
疲れてたんだなぁ・・・

100m余りにまで迫った危機を乗り切り、再び一筆書きを進める為に馴れた鶴川街道ではなく、津久井道へ。日本女子大辺りのなんてことない坂が、本当にツライ。とうに追い越す気力は失せているので、小田急バスの後ろをノッソリ従いて、新百合・柿生へ。上麻生線に入ってからは、残り十キロを漕ぐことが出来そうもないほど、疲労を覚えたので、いつもの麻生台のローソンでコーヒー休憩。近所で事故を起こしてしまっては、取り返しがつかないので・・・(>_<;)

三十分近く休憩してから最後の力を絞って、二十時半帰宅。




朝方は非常に寒かったですが、昼間は風も少なく、穏やかな気候の一日でした。
印象深かったのは、栃木市~利根川の間の、見渡す限りの田んぼの景色です。
地平線にポツン・・・と現れた防風林が大きくなり、それを抜けると道祖神や先祖代々のお墓があって、やがて丹精された生垣と民家が現れる・・・
走っている時は、漕げども漕げども景色に変化がなく、進んだ感じがしないので焦りばかりを感じたものです。
が、日頃車のハンドル握って国道を走る時、チェーン店の看板が入れ代わり立ち代わり、どこまでもどこまでも、繰り返し現れるのを目にして、日本全国同じ色で塗りつぶされてしまうのかと、慨嘆していることを思えば、大きな北関東の景色の中、わざわざ二級の道を選んで走ったからこそ、味わえる醍醐味だったと、ブログを更新すべく筆を進めていて、今更ながら気が付いたのでした。

実に、贅沢な時間を過ごさせて戴きました。

2014年9月の1都6県一筆書き以来の250km超ですが、一時間近く遅くなってしまって・・・
この点については、中々次のステップが見えないなぁ・・・(溜息

例によって時間とか速度的な詳細は




『重要伝統的建造物群保存地区』つながり記事・・・
所沢・川越・野山北公園自転車道←新タブで2014年5月2日付記事が開きます。
佐原・銚子・犬吠埼 横浜⇔水郷往復320km←新タブで2015年1月12日付記事が開きます。
佐原・銚子・犬吠埼 横浜撮って出し←新タブで2015年1月12日付記事が開きます。
こちらも宜しくお願いしますm(_ _)m
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さて、来週のぶたさんはっ!
『学問の聖地で三番勝負!』
『縁結びの神様にいろいろお願いっ!』
『夕日の街の路上で絶唱っ!』
・・・の三本です♪

お楽しみに~♪・・・うガんんっっ!(>_<;)





2 件のコメント:

横尾寿秋 さんのコメント...

蔵の町良い雰囲気ですね~
疲れてるんだなぁ~って、、
そりゃぁ250km越えでもん!!
疲れないほうがおかしいです!

車でもチョット面倒な距離じゃないですか!!!

私にはとても走れない距離です。
もう最近は100kmも走ってないですよ~

ところで、相変わらずの早起きですね!
と言うより寝る時間??
18時間も走リ続けるとは、、、、
自転車と体が一体化しそうですね~
下りて数秒は変な動きになりそうですね!

ボラザぢぃ さんのコメント...

タマチャリンさま

前触れなく「キーーーーッ!」とか叫んで走り出しちゃうトウガラシ系な上に、
タマチャリンさんと違ってヒマなので(>_<;)

ロードの皆さんって、とにかく凄い距離は知られる方ばかりなんです。
タマチャリンさんみたいに、燃焼度の高いライドをこなす自信が無いので、
ダラダラ長く走ってるだけで・・・私なんか、児戯っス(>_<;)

確かに自転車降りてデリケートゾーンに血流が戻ってくるまでは、
昆虫みたいな歩き方してますね・・・
顔も木にしがみついて、白いあぶく吹いてるヤツみたいに・・・(^ ^;)
痛みがとれるまでは華麗に加齢臭振りまきながら、
白い腹揺らし頭頂部が薄い髪振り乱して踊り狂ってます。

蔵の街素敵でした。
土曜日なのに川越みたいに混んでいなくて、ゆっくり見学できました。
ここは車で行って、ジックリ観て回った方が絶対イイですよね・・・
私は例によって、お金無いのでチャリですが(T T)

コメント公開大変、大変遅くなり、申し訳ありませんでしたm(_ _)m
ここ数週アクセス数ゼロなので、油断してました・・・m(_ _)m