2017年1月21日土曜日

まいまいず!



標題をご覧になって・・・

「いや~前からアブナイ奴だと思ってたけど、遂にゆんゆんし始めちゃったかぁ~」と思ったそこのアナタ。

日頃ココに書いている事を省みれば、そのように思われることも当然ですが、でもちょっと待ってください。
「まいまいず」というのは、武蔵野に多く見られる、ヨソとはちょっ違った形の井戸を指す言葉なんですね。

・・・えっ・・・そんな事は常識!?

「社会科の教科書に載ってたから、しっかり勉強してた俺は当然、知ってるゼ」!?

・・・そんなあなたには私から、激しい愛を発信 します!
宇宙の奥の奥まで!若き稲妻!!で~んでんむ~しむし  かぁ~たつむりィ~♪
(ちなみに私は、年の瀬に歯医者の待合室で読んだ、『たまのれきし  小学校低学年向版』で初めて知りました。ゆんゆん)



鶴川~稲城~是政橋を渡って郷土の森公園へ。
「府中郷土の森博物館」の中に、
お目当ての「まいまいず」があると聞き、やってきたのですが・・・



【物件その①  府中郷土の森のまいまいず井戸】





休・館・日!

年末の休日のかき入れ時に休むってなぁ、
一体全体どういう了見だぁ!?
もしかして、お役人なの!?
(←間違いなくお役人です)





久し振りの多摩サイ。
キツイ、キツイ・・・




日野橋からは、ひたすら奥多摩街道
右は片倉の工場跡地に施された「福生ウォールペインティング」
小学生が描いたにしては上手過ぎるよう・・・な?
名車「片倉シルク」はかつて、ココで作られていたのだとか。


【物件その②  五ノ神まいまいず井戸】


・・・そんなわけで、青梅線の羽村駅前にやってきました。二番目の目的地・『五ノ神まいまいず井戸』はご当地きっての購物中心、西友羽村店向いにひっそりと口を開けています。

まずは入口の説明板から・・・

元文六年(1741年)に当時熊野井戸と呼称されていたこの井戸を修繕した際、九基の卒塔婆が出て来たそうで、普請帳には卒塔婆が何年前のものかが記録されていたそうです。最古の卒塔婆は建永年間・普請の年から537年前と記されているそうで、これによって鎌倉時代前期に既に井戸を中心とした集落が形作られていたことが分かったのだそうです(筆者注;建永年間は西暦1206年2月から1207年12月。「数え年」で計算したのでしょうか?)。


北から見てもグ~ルグル♪・・・・・・南から見てもグ~ルグル♪


     で~んでん む~しむし かぁ~たつむりィ~♪

     いいですね!
     誰が見てもまいまいです!!
     よんよん受信してますよ!!!

もうお気づきとは思いますが・・・「まいまい」は井戸の底に降りる道が、かたつむりの渦巻模様に似ていることから、このように呼ばれるそうで。
何故すり鉢の形をしているかといえば、これが掘られた時代には、軟弱な地盤に垂直な井戸(筒状井戸)掘る技術がなかったから・・・なのだそうで。

冒頭に書いたように、こんな形の井戸は武蔵野の台地面上に多く見られるのですが、武蔵野台地はご存知のように、多摩川が運んで来た3~10mの砂れき(礫層)の上に、「ローム」と呼ばれる5~10mの火山灰層が積もって出来ています。
水はけが良すぎて雨水は地面を流れず、すぐ地下に浸透してしまうので、農業に使える水に乏しい土地です。地下水が流れる層まで井戸を掘らなければいけないわけですが、容易に想像できるように、柔らかい火山灰の土を垂直に掘り下げるのは非常に難しいわけです。
そこでまず、火山灰の層をすり鉢状に掘り下げてカタツムリの殻状の道を付け、しかるのちにすり鉢の底から地下水層まで井戸を掘る・・・という技術が発達したのだそうです。




見事に「かたつむり」型ですね!!



それではご唱和ください!
ま~い ま~い ず~♪





・・・新奥多摩街道に戻り、一駅進んで小作駅。

ぶたさんはそろそろ「補給」が必要ですが、
財布の中身と栄養価の折り合える場所が
見つからなくて、腹ペコ・・・



【物件その③  青梅新町の大井戸】


青梅線の小作駅から北へ走ること約2キロ
青梅街道の御岳神社入口交差点から住宅街へやや入った場所に、大井戸公園があります。
公園の真下には、圏央道のトンネルが通っています。




やっと着いた!



どれどれ・・・



ちゃんと「かたつむり」してるかなぁ~♪



♪ま~い・・・



♪ま~い・・・



・・・ず?



うん、
ビミョ~だ!



『青梅新町の大井戸』は昭和六十二年に発見され、平成三年から発掘調査が行われました。
井戸の中心部の大きさは南北33m・東西22m・深さ約15m。以下は『東京都文化財データベース』bunkazai.metro.tokyo.jp・『青梅新町の大井戸(都指定史跡)』から引用します。

底部に向かって汲取口(井桁)までの道は途中で2本になり屈曲して下っています。道の壁面は葺石で、下部に石積みが残っています。地中深くの水を得るため、すり鉢状に掘り、人が下りて水を汲む形態の井戸です。
大井戸がいつ作られたのかははっきりしませんが、出土遺物や形態から江戸時代以前にさかのぼる可能性があります。吉野家などでは筒井戸が掘られていることから、開村以前に街道沿いに造られた大井戸が開村段階で再構築されたものとも考えられています。

『東京都文化財データベース』より引用

・・・ちょっとがっかりしましたが、確かによく見ると、多摩地区の林道マニアにはお馴染みの、玉石を積んで土留めする技術が使われているのですね。
なるほど・・・たとえ挫折しようとも、絶望の中から、歌いださなければならないのですね!

・・・

腹減ったので、次っ!


マッも幸苑もジョナンも行列が店の外まで・・・
個人の店はシャッターばかりで・・・
このギャップは一体、なんでせう・・・



駅前まで来ちゃった・・・

【物件その④  昭和の猫町・青梅の看板を鑑賞する!】


シネコンばかりが増えて、中小の映画館が絶滅するという二極化がこの二十年で進んだせいか、映画館版はシートに印刷したもの以外は、全く目にする機会がなくなってしまいました。
青梅を歩くと、辻ごとに目にすることが手描きの映画看板群は、『最後の映画看板師 』と云われる久保板観さんの作品だとのこと。
以前TV番組で取り上げられているのを観たのですが、この方はプロジェクター使わずスチルを横に置いて、ドンドン描いてしまうのです。。。
俳優の顔とか、「なんとなく、違うんじゃないかなぁ~」と感じる部分もあったりしますが、物語の雰囲気はどの看板もよく伝えていて、流石というか・・・

映画愛が伝わってきて、ジ~ンと来ますね。



秋川街道の追分近くにある赤塚不二夫会館  デュークはちょっと、若い感じ。  リボルバーって、これでいいんでしたっけ???

「豆スープ色…」の名セリフで有名な『哀愁』は、NHKの『君の名は』の元ネタ  阪妻の『丹下左膳』は昭和二十七年制作





青梅といえば、「昭和の猫町」
横町をウロウロすると、新作も・・・





やっべ  コレ、ド真ん中だわ



駅近くのソバ屋で昼食
テレビの音だけ聞こえる店。割れ目にはまったおはじきみたいに落ち着きますわ。
一杯やりたいところですが・・・
甥っ子のお年玉袋に最低単位入れて、財布の中に残ったのは硬貨だけ。
『男達の大和』みたいな状態で自転車漕いでるので、もちろんザル一枚で終わりっ!(涙


この時点で所持金230円。
また来るよ~♪



二ツ塚峠から五日市→美山通り・町田街道と走れば、、
一筆書きで「峠収め」ができるね♪

・・・

・・・行かないけど





往路と同じ、奥多摩街道を戻って・・・



【物件その⑤  ママ下湧水】


本当は国分寺の「お鷹の道」に行きたかったのですが、草臥れました。。。(^ ^;)
はけ・ママ繋がりで帰り道にある矢川の「ママ下湧水」へ。
以前タマチャリンさんが記事にされていたのを読んで、気になっていた場所。 武蔵野台地が多摩川に侵食されてできた段丘崖から、地下水が湧いてるところですね~

昭和の初めまではワサビも作ってたらしいですね。




子供たち遊ばしてる茶髪のお母さんが、
ピチパンのおじさんには早く出てって欲しいという意思をたっぷり込めた、
トカゲ目線を送って来る中で、観察開始!



水草生えてます  真ん中の池に湧いてます  水量多くないです おしまいっ!

『東京都の名水57選』とのこと・・・あと三つでっち上げて、キリバンにしちゃえばいいのに。
・・・立川といえば、三多摩の歴史に燦然と輝くキーの聖地。
トカゲ目の主は・・・と思しい多産系の奥さま。この人を敵に回したら、まず生きては帰れまいというオーラを放っているので、早々に退散。

こんな時ですね!
魂の奥から湧き上がって来るような、
あの歌を思わず口ずさんでしまうのはっ!!

♪ああ 何のために人間はいるのか~
涙のなかからも きらめかねばならない♪


・・・泣いてなんか、いないんだからねっ!

な、なんでそんな目で見るンですっ!?

誰だっ!私に電波とばして来るのはっ!!


・・・明日はマジメに更新します・・・m(_ _)m

例によって時間とか速度的な詳細は




「トップ画像が井戸じゃないぞ!すわ、○○写詐欺かっ!!」と思ったアナタ。ホントにまいまいの写真だったら・・・地味でしょ(笑




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