2016年12月28日水曜日

大上峠 (大上林道)



すっかりご無沙汰させて頂いておりましたm(_ _)m
クリスマスという、ぼっちにとって最恐のホラーイベントを無事通過したので、ブログの更新でもしてみようかな(笑)

INTER8さんの記事を見てから気になっていた大上峠と、以前タマチャリンさんが記事にされていた蝉の渓谷を組み合わせて走ってきました。
真夜中の高速を飛ばして、道の駅オアシスなんもくに車をデポ。自転車の積み降ろしが、何度やっても慣れなくて、時間ばかり掛かります。陽が上るまで車内で待ちますが、外気温時計は0℃で、寒いこと、寒いこと!
SAで買っておいたサンドイッチを腹に詰め込んで、七時に道の駅を出発。塩ノ沢峠への道を左に見ながら、南牧川を遡ります。

上はジャージの上にウィンド・ブレーカーとユニクロのライトダウン、下はビブタイツの上にトレッキングパンツを履いていますが、谷底を這う道にはまだ陽光が届かず、歯を鳴らしながら自転車を漕ぎます。「六車」という地名標識を横目に見ながら南牧村役場を過ぎ、道の駅から6キロほどで蝉の渓谷。松尾芭蕉の『奥の細道』の一句が刻まれた句碑が傍に立つことが、その名の由来とのこと。もっともタマチャリンさんの記事を読むと、山形の立石で詠まれた有名な句を碑に刻んだのは、芭蕉時とは縁もゆかりもない金沢の俳人だったことが分かりますが・・・

両岸の岩が、ほぼ垂直に侵食されて形作られた景観は、豪快です。









圧迫感を覚えるほど両側に岩が屹立した渓谷を抜けると、思いがけず多くの家が連なる砥沢地区。道の両側は年代物の切妻・平入りの建物が延々と続いて、まるで股旅モノのセットに迷い込んだような気分です。
田口峠を挟んで下仁田と佐久平の臼田を結ぶこの道は、中山道の脇往還(上州姫街道)のいくつかあるルートの一つだったとのことで、文禄二年(1593年)に南牧関所が設置されるのと前後して、砥沢宿として宿場が発展したとの由。南牧関所は横川関所に比べ関所調べが緩かったらしく、往時は善光寺参りの参拝者で賑わったそうです。

木枯し紋次郎の舞台を彷彿とさせる、寂寞としたモノトーンの風景を楽しみながら自転車を走らせます。









GPSのマイレッジを確認すると、そろそろ南牧三滝の一つ・名瀑「線が滝」へ向かう道が、県道から分けるはず。滝巡りも楽しそう・・・ですが自転車では荷が重いので、分岐を間違えたら大変。御荷鉾スーパー林道への分岐も近い筈で、そちらへ迷い込んだら大惨事!・・・なので、地図を確認していると、散歩中と思しい、可愛らしいおばあさんたちに声をかけられました。

いつも通り、どこから来たの~?どこへ行くの~?という問いかけに対する口上を聞いて戴くと、自然と地域のことに話題が移りました。何度も「過疎」という言葉が飛び出します。おばあさんたちは村にあった、スポーツウェアを縫製する同じ工場で働いておられた由で、かつてそんな工場が三カ所ほどあったが、この二十年ほどで皆畳んでしまったとのこと。お子さん達も皆、村を出て働いているそう。線が滝や星尾地区へ向かう道の分岐に建っていると教えて戴いた学校(旧南牧村立尾沢小学校か?)も、十年ほど前にとうとう廃校になってしまった・・・と嘆いておられました。










おばあさん達が教えてくれた廃校と思しい建物には「南牧村民俗資料館」の看板がかかっていました。見学したいところですが、まだ八時を回ったところなので残念ながらスルー。西の空には、槍の穂先のような二つの峰・碧岩と大岩が、遅い朝日を浴びています。南牧川の右岸に渡ってしばらく進むと勧能地区。かつて温泉旅館があったらしいですが、ウェブの情報によると廃業してしまったとのこと。熊倉川との出合が作る狭い谷に、長い歴史を刻んでいそうな家々が、肩寄せ合うように軒を連ねています。切妻屋根の棟上に、一段高い高窓(煙出し・ヤグラ?)が張り出した養蚕農家特有の建物が目につきます。南牧川から鏑川へと下っていけば、かつて製糸が盛んだった富岡の街。今は花き栽培やブドウ・ブルーベリーといった果物、そして下仁田といえば誰もが連想するコンニャク芋の生産が盛んなのだそうです。

狭隘な九十九折れが連続し、碓氷峠や十石峠を凌ぐ難所という田口峠へは、勧能で橋を渡り北に向かうのですが、今日は直進して西へ。病み上がりなので、無理はしません(^ ^;)








道の駅から二時間。九時前に最後の集落である熊倉へ到着。とはいえ、まだ13キロしか走っていないわけですが・・・(^ ^;)
峠上りに備え、ライトダウンとトレッキング・パンツを脱ぎます。先ほどのおばあさんの話だと、コミュニティバスは勧能(?)・熊倉までしか行かないので、峠には行ったことがない・・・とのことでしたが、路肩にチラホラと白いものが見え始めた折でもあり、地元の方もあまりご存じでないという峠に辿り着けるのか、若干不安を感じます。
熊倉川を渡ると、橋の南詰めに「林道大上線」の標識が。天を衝くような岩の間を縫うように走り始めます。見上げると、白い岩肌の頂上に松の木がへばりついています。九十九折れを緩く登ってゆくと、緑濃く薄暗い杉林が、いつしか葉を落とした枝が絡まる明るい森に代わり、林道入口から一時間ほどで村営のキャンプ場(なんもく自然公園)に着きました。道端に立つ「余地峠懐古の碑」が目を引きます。

ベテランの方のツーリング記録などで目にする名前ですが、北側に分ける未舗装の道が余地峠に続いているのでしょうか?碑文によると、大上峠の北西にある余地峠を越える道は、西上州と南佐久を結ぶ主要路として、群馬側では「熊倉道」・長野側では「余地峠みち」と呼ばれ、古来より使われて来たのだそうです。古くは武田家の戦略・戦術を記した軍学書『甲陽軍鑑』に記述があり、永禄三年(1560年)五月に国峰城主・小幡信貞の案内で武田軍が余地峠を越え、翌年から本格化する上野侵攻の軍用道路として使われたとのこと。南牧谷には星尾城や羽沢城・布山城や小沢城といった城跡が連なっていることも、武田軍の上州攻めにこの峠が使われたことを裏付けているそうです。近世に入ると、上州産の仔馬・ねぎ・こんにゃく・紙・砥石と、信濃産の米が運ばれる交易路として使われ、流通の要衝として人馬の往来が絶えなかった・・・とあります。









路面が薄っすら雪に覆われることが多くなってきましたが、サラサラの新雪なので、タイヤが雪を踏みしめる感触を楽しみながら、漕いで上ることが出来ます。
北の方角に目を遣ると、標高1265mの立岩が、白い特徴的な岩肌を見せています。「上州のドロミテ」と呼ばれるとのこと。冬枯れした樹間から覗く山の形は、どれも『日本昔ばなし』に描かれるような、ニョッキリと特徴ある輪郭です。道の駅から20キロ×三時間ほどしか自転車を走らせていませんが、自転車に跨ること自体三週間振りで気力・体力の減退著しい故、ウソッコピークから100mほど下らされた時はやや堪えました・・・短いものの10%の坂を上り返して、十時半に大上峠に到着。事前に調べた標高は1110mとのことでしたが、測位誤差なのか、GPSは1180m前後を示しています。









ピークの前後100m程だけ道幅が広くなっているせいか、日当たりが良く明るい雰囲気ですが、名前を刻んだ石碑がある位で、この上信国境の峠自体は何も特徴がありません。
もっとも、陽が薄い谷底から這い上がってくると、風が無く暖かいというだけでなんだかとても、有り難く感じたりするもの。そういえば、朝から吹き続けていた身を切るように冷たい風が止んでいます。

小休止ののち、長野県側に下ります。INTER8さんが書いておられた通り、こちらはカラマツの林です。上州の山々に比べて、心なしか横長に感じる山並みを見ながらソロソロと下ってゆきます。凍結を警戒しつつ速度は抑え気味に進みますが、幸い危険な箇所に出会うことなく、十一時前に武州街道(R299・十石街道)に着きました。峠からの標高差は150mほどでしょうか?南側に広がる穏やかな稜線の向こうは北相木村や小海町。ぶどう峠越えをして上野村→湯ノ沢トンネルを抜けて道の駅に戻るコースも考えたのですが、一度佐久甲州街道まで降りて迂回しなければならない点と、十石峠とぶどう峠の標高差を考えると、陽が残るうちに道の駅に戻ることは難しそう・・・というわけで、十石峠を越えて道の駅に戻ることにしたのですが、長くなったので、そちらは次回に。
・・・本当は一日で走ったのですが、何分ネタが少ないもので、セコく更新一回分稼がせていただきますm(_ _)m








上州のカラっ風に吹き転がされるように走った今回は、峠そのものの魅力よりも、南牧川沿いに並ぶ集落の風情を味わうことが出来た一日でした。
繰り返しになりますが、峠の下まで股旅モノのセットみたいな景色が続いていて、最近三十年の間に建てられたであろうと思える家が全然見当たらない(!)ことに、「スゴイ!」と感じさせられました。
興覚めな新建材の家なんか、ホント、一軒も見当たりませんから・・・
もっとも、途中お話しさせて戴いたおばあさんも歎いておられた点ですが、南牧村は高齢化率が全国の自治体トップなのだそうで、遠い日の町並みが真空パックされたかのような、味わい深い景色の裏には、そんな苦悩も隠されているようでした。

この記事を書いていて、残った疑問が一つ。
いつもの『今昔マップon the web』で、今回走った場所の過去の地図を見ていて気が付いたことなのですが・・・
余地峠の長野側は昔も今もあまりルートに大きな変化が見られないのに対して、群馬側のコースは大きく変わって来たのでは?と、思いました。
自転車の先輩方の記録を拝見すると、なんもく自然公園脇のあの林道を通って峠を越えられている方が多い気がするのですが、戦前の地図を見ると、群馬側のルートは象ヶ滝付近の沢に沿って峠まで伸びていることが分かります。
今日のルートで言えば、熊倉で橋を渡って林道に入らずに、熊倉川に沿って県道(r108下仁田佐久線)を走り、行き止まり地点を越えて進む格好になる筈ですが・・・そんな道って、今もあるのでしょうか?
r108下仁田佐久線の不通区間に当たる部分ですが、1894-1915年の地図で検索すると二重の実線、1928-1945年の地図で検索すると実線と破線の平行線で描かれていて、どうも田口峠や十石峠よりもしっかりした描かれ方をしているように思えるのですが・・・

それにしても、大上峠とぶどう峠を一日で回られてしまう先輩方は、ホント、スゴイと思いました・・・!






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多くの方が犠牲になった四月の熊本の地震に始まり、岩手県岩泉町や北海道の道東に、激甚な被害を及ぼした八月の台風10号、十月の鳥取地震に暮も押し詰まった22日の糸魚川の大火災など、今年は本当に災害の多い年でした。
私自身にとっても、酷い時には毎週のように訃報が届き、何かホント、「バタバタ」という感じで、友人知己が倒れていく印象で・・・
案じ煩う日の多い、苦しい、苦しい一年でした。

今年も当ブログを訪れて戴き、ありがとうございました。
来る年が皆様にとって良い一年でありますように。

どうぞ、良いお年をお過ごしください。

4 件のコメント:

横尾寿秋 さんのコメント...

エライ所に行かれましたね
南牧村は山間なので日が沈むの早いんですよね
2時過ぎくらいから薄っすらと暗くなってきますからね。

あの集落は車で行くと対向車が来ないかヒヤヒヤなんですけど、
そもそもあまり人が住んでいないので
対向車も滅多に来ないんですよね。
自転車で走ったら格別ですよね~

蝉の渓谷は何だかんだで、2年連続で行きましたよ。
ま、すぐに見終わっちゃいますけど、
中々無い光景ですもんね!

ボラザぢぃ さんのコメント...

タマチャリンさま
おかげさまで、実に豪快な景色でした。
二年連続ですか!ご実家のお近くなのでしょうか?
紅葉の季節に訪れることができたらよかったのですが。
せめて、田口峠か余地峠だったら・・・
こんなことでさえ、今年は最後まで失敗でした。
コメントありがとうございますm(_ _)m

INTER8 さんのコメント...

余地峠は2008年に行きました。途中までダートの林道ですが、その後はゆるい古道になります。とても赴きのある峠だったのでもう一度行きたい場所です。
宿に泊まって翌日は星尾峠へ行きましたが下り道(下仁田側)が荒廃して通れず、田口峠へ山道を辿りました。
西上州は小粒で味のある峠が多く昔からパスハンの聖地的な地域でした。今は訪れる人が少なくなり、地域自体も過疎化が進んでいますね。古い日本的な集落を見れるのもあと数年でしょうか。元気なうちに各地を走りたいです。

ボラザぢぃ さんのコメント...

INTER8さま

あけましておめでとうございます!m(_ _)m
昨年は沢山の楽しい記事をありがとうございました!o(^-^)o
おかげさまで、今回も記事を参考にさせて戴き、上州の峠を満喫する旅が出来ましたm(_ _)m
砥沢あたりの時間が止まったかのような風景、長く心に残りそうです。
余地峠、機会があれば上ってみたいです!
星尾峠、慌てて調べました(^ ^;)
通れなかったというのは線ヶ滝からの道でしょうか・・・?田口峠への道は痩せ尾根を辿られたとのこと、そんな険路での押し担ぎなど、私には想像も出来ません・・・(>_<)
このことに限らず、自転車愛好者として身につけるべき素養が欠落していることを、最近痛感します。。。
パスハンティングの聖地とは・・・
先輩達にお読み戴いて、文脈上ココはおかしい!・・・と、感じさせてしまう記事になっていなければ良いのですが・・・

本年もどうぞ、宜しくお願いいたしますm(_ _)m