2016年11月20日日曜日

県立体育センターの瀟洒な食堂



境川サイクリングロード近くに、歴史的建造物で営業する定食屋さんがあると聞き、久し振りに父を誘い出して一緒に走ってきました。

目指すは善行にある県立体育センター内の玉屋食堂。我が国におけるモダニズム建築の始祖と云われるアントニン=レーモンドが、昭和六年に設計した建物で営業しているとのことです。
車が激しい丸子茅ヶ崎線を迂回するルートで境川CRに入り、南下。ここを走るのはウン年ぶりですが、休日のこの時間帯はウォーキングやサイクリングの人がとても多く行き交っています。もとより飛ばせるほどの脚力は無いわけですが、慎重に、のんびりと。下飯田の遊水池の公園が立派に整備されていて、バイクラックまで備えられているのには驚きました。国道一号の1キロほど手前でCRを外れ、藤沢街道が通る台地へ這い上がります。25キロの道程を二時間で到着。
七十一歳ガンバリました!






アントニン=レーモンドは有名なフランク=ロイド=ライトが帝国ホテルを設計する際に、設計助手を務めるために大正八年に来日。太平洋戦争中アメリカへ帰った期間を除いて、戦前戦後の日本に多くのモダニズム建築を残しました。
県立体育センターの合宿所兼食堂となっているこの建物は、もともと『藤澤カントリー俱楽部』というゴルフ場のクラブハウスとして、昭和六年に建てられたもの。相模野台地の南端に位置する『藤澤カントリー俱楽部』のコースは富士山・江の島・相模湾を見渡す抜群の眺望を誇り、当時は日本プロ・日本オープンが開催される日本有数のチャンピオンコースだったそうです。太平洋戦争敗戦後に短期間首相を務めた後、皇籍を離脱した皇族や、日支事変から太平洋戦争中まで三度に渡り首相を務めた公爵らがよくゴルフを楽しんだ他、ホームラン王ベーブ・ルースも昭和九年の来日時にプレーしたとのこと。コース設計は戦前の有名選手・赤星四郎(芦ノ湖にブラックバスを移入したことで有名な財界人・赤星鉄馬の弟)で、「アリソン・バンカー」で有名なC・H・アリソンの助言を受けたそうです。
レーモンド設計のクラブハウスとしては、やはり赤星四郎がコース設計を担当して昭和三十三年に開場した富士カントリークラブの例が挙げられますが、県立体育センターの建物はこれより二十七年も古く、車回しに立つ説明板によれば、現存するものとしては日本最古のクラブハウスになるとのこと。






昼食にはやや早い時間に着いたためか、空きが目立つ席について早速注文。先払い式のセルフサービスなので、気兼ねなく建物の中を見学できました。
山荘風の巨大な梁が印象的。補強のため鉄材で加締められているのが年代を感じさせます。床に目を落とすと、それぞれの方角の眺望を描いたタイル画が。植木を整理すれば、ひょっとすると今でも富士山は見えるかもしれませんが、八十年前ここから相模湾を望むことが出来たとは、驚きです。テラスに出て尖塔を眺めると、漆喰のはげがちょっと、目立つかなぁ・・・屋根だけでなく、テラスから庭に降りる階段の手摺などにも、緑青色のスパニッシュ瓦が使われていることが分かります。

県内で一般公開されているレーモンド築の建物といえば、ここの他には、山手洋館巡りに組み入れられている元町公園のエリスマン邸だけの筈。
全体的には、とても優雅に歳を重ねている洋館という印象を受けました。

私はビーフコロッケ定食・父はカツ定食を注文しましたが、どちらもとても美味しかったです。







ゴルフ場は戦時中海軍に接収されて飛行場になりました。 藤沢海軍航空隊が置かれ、クラブハウスは司令部として利用されました。この「藤沢飛行場」は戦後グライダーの練習場として使われ、その際に一部が県立体育センターの前身である藤沢市営競技場となりました。 藤沢飛行場がたった一度だけ、世間の耳目を集めることになった事件があります。昭和三十四年九月二十四日、グライダークラブの会員が離着陸練習中に上空を旋回する珍しいグライダーを見つけました。徐々に旋回しながら高度を下げた機体は、滑走路脇の芋畑に不時着。異様に長い翼を持ち真っ黒く塗られたジェット機には、機体のどこにも国籍記号や登録記号が記されていませんでした。幾らも経たないうちに米軍ヘリが到着して米兵やパイロットが見物人に撮影禁止を命じ、写真を撮影した人はのちに警察の家宅捜索を受ける羽目になったそうです。
この「黒いジェット機事件」について大手新聞社は記事にせず、神奈川新聞だけが翌日小さな記事を紙面に掲載しました。十一月、週刊少年サンデーが特集記事を掲載したことにより、初めて全国に広く知られるようになり、国会でも問題化。政府はNASAの気象観測機との立場を崩しませんでしたが、当時、各国で噂に上っていたスパイ機U-2型が、厚木基地にも配備されていることが、この事件で明らかになったのでした。

事件から五年後の昭和三十九年に飛行場は廃止され、滑走路周辺は工業団地に整備されました。今は、ゴルフコースの跡も飛行場の跡も、見つけることはできないようです。






暫くCRを走ってから、環状四号へ。自転車通行帯があったりして、意外に走り易い道。瀬谷でお茶して本日のサイクリング終了。
瀬谷の基地の跡を抜ける際に、今まで気が付かなかった↓こんな遺構を見つけたのですが・・・
何かの地下施設の換気孔のようにも見えますが・・・そういえば近くの農家がウドの栽培しているって、新聞に書いてあったような?・・・

・・・オシャレなランチポタ(笑)の線を狙ったのですが、私が書くとはたしてというか、やっぱりというか、覆い難くショボくてビンボ臭くなっちゃうなぁ・・・(溜息)

本日のコース



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