2015年10月7日水曜日

返還された基地の跡を見に行く




春の恒例行事『さくら祭り』によって近隣住民に親しまれる一方、R16の渋滞の原因(環状四号線と海軍道路が通信隊基地が障害となり一本の道として繋がっていない為、双方の道からR16へ車が流れ込む)として長らくドライバーの溜息を誘っていた、瀬谷の通信隊基地(上瀬谷通信支援施設:U.S.Naval Support Facility KAMISEYA)が、2015年6月30日を以って日本側に返還されました。
境川の支流である相沢川と大門川に挟まれた、武相国境に広がる台地上の土地で、瀬谷・旭両区にわたり東京ドーム約51個分(約242ha)もの敷地にを誇っています。
かつてここには在日米海軍厚木航空施設司令部の管理下にある通信部隊・分遣隊が置かれていました。
基地の沿革については横浜市政策局基地対策課のこちらのページや、Wikipedia上の記事『上瀬谷通信施設』に詳しく述べられているので、そちらを参照頂きたいのですが、冷戦時代には巨大なアンテナが 林立し、「世界最大の盗聴機関」と云われるNSA・国家安全保障局が拠点を置き活動していたとのこと。ウィキペディアに述べられている同性愛事件が笑えます。
 記事には述べられていないじもっぴーに流布する「噂」「都市伝説」レベルのお話を二、三・・・
もともと太平洋戦争の終戦間際に、旧日本海軍が資材集積所、即ち倉庫を建設したのが、この基地の始まり(英語版wikiでは「魚雷工場」との記述も)ということになっていますが、相鉄線の瀬谷駅北側から八王子街道まで直線が続く、敷地を南北に貫く通称海軍道路ひとつとってみても、実は飛行場として計画されたのではないか?という疑問が浮かびます・・・
首都圏の防空施設として、終戦間際に慌ただしく建設された飛行場として、三浦市の黒崎の飛行場や、横須賀市の長井の飛行場(ソレイユの丘の北側・現自衛隊レーダー基地)を挙げることが出来ますが、武相国境の台地上という立地が非常に似ているのが、疑念を抱かせる第一のポイント。
第二のポイントが海軍道路の延長と延びている方角で、3000m前後でほぼ南北方向・・・といえば、ほぼ厚木基地や立川飛行場の滑走路と同じ。この点、ズバリ補助滑走路として計画されたとの情報も一部にあるようですが、信頼のおける資料においては、海軍道路自体は瀬谷駅付近から別れていた、専用の引き込み線跡である・・・と書かれていることが多いようです。

もう一つの噂が、戦時中毒ガス工場が上瀬谷に置かれていたのではないか?という物騒なもの。
平成9年12月・横浜市議会の委員会で、8000本余りの旧軍毒ガス弾が、終戦時に通信施設内に存在したと記された米軍資料を元に質問が行われ、後に環境庁と横浜市が調査を行っています。環境省のこちらの資料によると、終戦時瀬谷に置かれていた第二海軍航空廠に、マスタードガス爆弾8852本が保管されていたが、昭和21年ごろ米軍監督下で海洋投棄された・・・との関係者への聴き取り結果が得られたそうです。
あと、米軍基地となってからは厚木基地司令官の指揮下にあり、同基地の独身軍人の住宅としても使われたとのことで、現に68戸の住宅が建てられたことが、返還合意時に確認されています。NSAが主導して厚木基地で行われた冷戦時代のスパイ活動で思い浮かぶのは、ダウニーとフェクトーとか、U2が配備されていた時オズワルドも厚木基地のレーダー要員だったとのことですし・・・この辺の人達、上瀬谷と接点はあったのでしょうか・・・?教えて、偉い人!(←中二ですゴメンナサイ)

そんなわけで、色々ロマンチックな妄想も膨らむ通信隊基地ですが、一時は300人が配置されたという分遣隊も90年代に活動を停止し、消防署や住宅が並ぶ北部地区と、やや南に離れた場所に柵で囲われた通信施設が残る他は、現況の敷地はただ畑が目立つばかりとなっています。昭和52年に45%に当たる108haが民間に払い下げられ、うち92haが上瀬谷農業専用地区に指定され、79haが耕作されている(『上瀬谷通信施設 -モデル地区の概要』国土交通省資料より)とのことですので、当然ですね。あと、昭和40年代から、北部地区の格納庫の地下壕跡でウド栽培が行われて来たらしいです。通信障害を防ぐためビニールハウスなど高さのある工作物の設置は禁止され、農機具の使用も制限されたとのことで、地元農家が注目したのがウドだったとのこと(『「上瀬谷」ウド農家危機感』読売新聞オンライン2015年2月6日付記事より)。返還後国有地を管理する南関東防衛局が「個人に国有地を貸す法的根拠がない」との理由で、基地返還後農家に対して栽培場所の明け渡しを求めた、というのが記事の内容ですが、6月30日付の神奈川新聞によれば、その後国が農家に対して最大3年間の暫定利用を認めたとのこと。

じもっぴーとして一番気になるのが再開発計画。前掲の国土交通省の資料によると、跡地内にはクヌギ・コナラ群落やシラカシ群集が点在するそうで、実際に訪れると、瀬谷市民の森の西側に広がる草原の中に、木立が点在するのが確認できました。気持ちの良い草原が広がっている様子は、大都会のサンクチュアリの云いたいほど。アスファルトの照り返しがキツい残暑の日でも、マンションや工場が立ち並ぶ周囲の地所に比べ、心なしか涼しく感じられる風が吹き抜けていきます。R16・R246・保土ヶ谷バイパス・丸子茅ヶ崎線という大動脈に囲まれている通信基地跡の畑・森・草地に、ヒートアイランド現象を緩和する機能があることを、体感することができた瞬間でした。


R16亀甲山より保土ヶ谷バイパスの下をくぐり、基地跡地東側の元ゲートより「侵入」米軍基地の名残を名超す数少ない建物
昭和52年に払い下げられた民有地なのか、畑が目立ちます
敷地北側の建物が残るエリア  ここは相変わらず柵に囲まれ入ることが出来ません  
東京ドーム約51個分の敷地に、こんな道が無数に張り巡らされています  大きな声じゃ言えないけど、MTB天国?




気持ち良さそうな場所だと思いませんか?


南側の鉄条網で覆われた地区  アンテナが目立つ建物はマント群落に覆われてて、長い間人が近づいた様子が無い


北部地区と南部地区を結ぶ道路に設けられた衛兵詰所 上段はそれぞれ東/西から撮影したもの
桜祭の際は、ここでカービン銃を持った兵士が来場者の誘導を行っていました
米兵ではないのでしょうが、まだ歩哨が居る様子でした

下段右は衛兵詰所前から西に延びる道路  ヘリパッドを経て海軍道路側ゲートに続いています


県営団地に接する南側のゲート  不法投棄も辞さぬ不逞の輩が、迫りくる目下最大の敵であることが窺い知れる看板類…

野球のグラウンドが二箇所  応援の人と車で一杯


上段左・赤い機械より中央寄りがヘリパッド跡  草刈中で右の写真以上近寄れない・・・
下段左にチラッと見えるように、今は模型飛行機とドローンの遊び場に・・・  右は衛兵詰所前から続く道

海軍道路側のゲートの様子 索囲いはありませんが一応道路の西側の畑も敷地でした


かつて物々しい警告が林立していたR16側(北側)ゲートも今はこんな感じ


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