2015年1月12日月曜日

佐原・銚子・犬吠埼 横浜⇔水郷往復320km

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1年以上前の暇ネタですm(_ _)m

昨年の暮れ、寒風に抗して人生初の200マイルを走った時感じた事を、ネジが緩んだ脳みそに思い起こさせて記事に纏めること自体、無理があるのですが・・・
元々、大した思い付きで始まったライドではないので。。。(←いつものことかw)

「関東地方」の一都六県━茨城県、栃木・群馬・埼玉・千葉・東京・神奈川━の輪郭を辿ると、西端は去年の夏訪れた白根山や山田峠のある群馬県吾妻郡嬬恋村ですね。本当は同じ嬬恋村でもR144の鳥居峠の方が西にあるのですが、こまけぇこたぁいいんだよ。では、東端は?・・・と来れば、「国のとっぱずれ」と詠われる千葉県銚子市です。「歌を歌って調子が外れるのを犬吠埼と呼ぶのです」(『房総鼻眼鏡』)とのことですので、音痴の私は「ちょうしっぱずれ」まで行かなければならないでしょう。。。なるべく同じ場所を通らない「一筆書き」のコースにしたかったので、往路は都心までR246→水戸街道と継いで我孫子から、利根川沿いに銚子・犬吠埼まで下り、復路はドーバーライン→匝瑳までR126→佐倉・成田街道→千葉街道→中原・綱島街道と走り、北総を弓型に一回りする計画です。
出発は久方ぶりの深夜+1。用水路に気を付けながら、星も月明かりも無い農道を走って市が尾へ。前途に待ち構える320km・200mileを想うと気が重いですが、調子が悪くなったら印旛沼か成田山で引き返す心づもりで、R246を東に漕ぎます。旧道の二子橋 で多摩川を渡り、1.5Hで渋谷へ。ハチ公口のスクランブル交差点も流石に人影は疎らで、手持ち無沙汰な様子のタクシーだけが目立ちます。御用地の坂を駆け下りて平河町の交差点を左へ。千葉街道から都心へ戻る帰路では、京葉道路・新大橋通いずれを使うにしろ、隅田川を渡ると日本橋付近へ出てしまう筈なので、いつものR15・中央通りは使わず、お堀の北側から浅草を目指すことにします。人と云えばお巡りさんの姿ばかりの千鳥ヶ淵で地図を確認し、九段坂上から靖国通りを2キロほど漕いで、須田町交差点からR17になった中央通りに入りました。言問橋から見上げるスカイツリーはまるで、空飛ぶ円盤の様。覚悟はしていましたが、四ツ木からの水戸街道はトラックが多く、すぐに喉に違和感を覚えます。ディーゼルエンジンから出る煤が幹線道路沿いの地表に沈んだまま拡散しないので、気温が低い冬の深夜のライドにはマスクが必需品であることが最近分かって来ました。ペーパーマスクの下に、防塵マスクを二枚重ねして走ります。口の周りだけ大汗をかきますが、仕方ありません。
出発から三時間・50キロをあとにした金町で最初の休憩。マックで朝食を摂っていると、隣の席でコーヒーを飲んでいた同年輩の男性に話しかけられました。どこから来てどこへ行くなど、お定まりの会話の後、自分も自転車を始めたいのだけれど、こういう自転車は幾ら位するのかと、読んでいたファッション誌の裏表紙を見せられました。パナソニックのオーダーフレーム?の広告で、そんな高級品は縁が無いので当て推量と断った上で、フレーム単体で7~10万・ショップで組んでもらって20万位?とか答えてしまったのですが・・・ハズレ?m(_ _)m今はダホンに乗っているけれど、自転車旅用に一台物色されているのだとのこと。私のは激安通販モノばかりなので全然、参考にならなかったと思いますが・・・(^ ^;)
2007年の笠間への片道行や、2011年の筑波山往復の際は、松戸までの路側が特に狭い区間でトラックの追い越しに肝を冷やすことが多かったので、これに懲りて今回はフラッシャー増量(車体・リュック・ヘルメット)・特定の場所では積極的に歩道を選ぶことにして走ります。マスクが息苦しいこともあって、ひたすら忍の一字ですが、おかげでこれといった危険を感じることも無く水戸街道を離れ、六時を回る頃に我孫子に到着。駅の北側から利根川沿いに東西に延びるR356~利根水郷ライン~へ入りました。もうマスクは不要・あと30分ほどで日の出なので、ライダーズ・ジャケットをバックパックにしまい、ジャージの上にウィンドブレーカーを羽織って再びペダルを回します。寒くて仕方がないのに、次々と汗は流れる奇妙な時間帯。暁光の中職場や学校へ向かう人が急ぐ道を、私は東に。スマホ運転の逆走高校生が突進して来て、パニックブレーキ!間一髪でビンディングが外れて、立ちゴケは免れました。。。駅から離れるにつれ人も車も消えて、印西市に近付く頃には緩やかなうねりを伴う、典型的な地方の快走路になりました。手賀川を渡り木下へ。自転車を停め、地図とGPSロガーの指示方位を照らし合わせて進むべき道を確認しようと努めますが、現在地がイマイチよく分かりません。木下の街は手賀川が利根川に合流する出合に開けた町で、千葉・八千代方面への道と成田・佐倉方面への道がR356から放射状に分岐する辻に当たります。主なランドマークはJRの駅や踏切ですが、線路は大利根に並行しているわけではなく南の成田に向かってしまいます。さらに複雑なことにR356には造りかけのバイパスがあり、頼みの青看が悉くそちらを指示している(途中で途切れてしまうのに!)ことも混乱に拍車を掛けます。 利根川が見える場所まで戻るべきか、思案して途方に暮れていると、頭上から「どこに行くんだ!」という叫び声が降って来ました。迷子を見かねた年配の方が、自宅の二階の窓からわざわざ声を掛けてくださったのでした。
「佐原ヘ行く道を探しているんですが・・・」
「ど ・ こ ・ だ っ !」少し耳が遠くていらっしゃるかも…(^ ^;)
「佐・原・な・ん・で・す・がっ!」
「突き当りを左ィ~・次の交差点を右だ~ぁ~!」
目星をつけていた道と全く逆でした・・・お礼を述べてサドルに這い上がると「気を付けて行けっ!」
・・・有難くて、有難くて、涙が出ます・・・m(_ _)m
成田線の木下駅を右に暫く走り、教えられたT字路を右折するバカ。
ガッツ伝説を地でゆきます。(「運転手さん、そこ右に左折して」)
交差点で右折を二回繰り返したら、殆どの場合元来た方角へ戻ってしまうものですが、「なぜ橋を渡る!?」とか焦ったりしているのですから、パイソンズのガンビー並。 先ほどの交差点まで戻って教えて戴いた通りやり直し、結局30分掛かって木下メイズを脱出、利根川縁の道へと復帰しました。利根水郷ラインはしばらく安食バイパスとなってしまうので、堤防を上ってサイクリングロードへ。「海から70km」とか書いてあり、萎える・・・orz
利根川サイクリングロードの香取までの区間(千葉r409号・佐原我孫子自転車道線)は、所々で並走するR356と合流するものの、自転車専用道路としては贅沢と感じるほど、転がり抵抗の少ないスムーズな舗装を備えるので、ぶた脚でも25km/hを保つのが苦痛ではありません。おかげで買ってからはじめて、ロードバイクらしいスピードでチャーシュー号を走らせてやることが出来ました。関東平野の長男・坂東太郎が作る水郷の景色はさすがに雄大で、蛇行する川に沿って自転車を漕いでいると、彼方の筑波山が前に見えたかと思うと後ろに行ったりで、距離とか方位についての感覚がオカシクなってしまうようです。

印西から栄町へ。大利根の雄大な景色。海まで60キロ。
栄町から成田市へ。大利根の雄大な景色。海まで55キロ。
成田市から神埼町へ。やはり大利根の雄大な景色。海まで50キロ。対岸はケネディ電気で有名な稲敷郡河内町(←そろそろボケないとツライ)。
神埼町から香取市へ。ず~と大利根の雄大な(ry
流石に飽きて来たので、堤防道から国道へ降り、佐原の街に向かいます。

水郷の小江戸として名高い佐原。江戸時代の利根水運の名残を伝える小野川べりが風情があって良いと、前夜読んだガイドブックにあったので、あまり頼りにならないダソーの地図を見ながら当てずっぽうに走ると、黒光りする瓦屋根が目に止まりました。忠敬橋たもとの土蔵造りの正文堂書店(県有形文化財)。重厚な瓦屋根と、格子戸の広い間口の家が川沿いに軒を連ねています。川面まで垂れるしだれ柳、白壁の土蔵・・・「関東の柳川」と称される小野川べりの風景です。時代劇に出てくるような平底船が舫う河岸には、利根川を行き来した船によって運ばれた米や酒・醤油や肥料を、各商家の土蔵に荷揚げしていた石段が刻まれています。日本最初の実測地図を作ったことで知られる伊能忠敬は延享二年(1745年)に今の九十九里町に生まれ。十八歳で養子に入った当地の豪商・伊能家の主として隠居するまで辣腕を振るったという。天明の飢饉に際しては、佐原村名主として貧民救済に尽力するなど、水郷地方有数の実力者であったわけですが、寛政七年(1795年)・50歳の時家督を長男に譲り、21歳も年下の幕府天文方高橋良至の門を叩き、測量の勉強を始めます。以後、文政七年(1818年)74歳で没するまで、自らの足で日本各地を踏査実測し、三万六千分の一の大図・二十一万六千分の一の中図・四十三万二千分の一の小図からなる『大日本沿海輿地全図』を完成するに至ります。幕末の文久元年に海岸線調査に訪れた英測量船アクテオン号の乗員が、たまたま目にした伊能図の正確さに驚き、測量を中止して伊能図を持ち帰った・・・という逸話は有名です。忠敬は、定年退職後に見つけたライフワークで歴史に名を残したといえるわけで、熟年の星ですな。旧邸はあいにく、現在修復工事中とのことで、あいにく養生シートに覆われた外観を見ることすら叶いませんでしたが、小野川を挟んで向かい側・忠敬と同じ江戸中期を生きた伊能一族の楫取魚彦(かとりなひこ)の屋敷は見ることが出来ました。賀茂真淵の高弟の一人であり、『古言梯(こげんてい)』を著した国学者として知られる他、万葉調の第一人者として、歌人としても活躍した人とのこと。「楫取」=「香取」なので、鹿島神宮と並び称される当地の香取神宮にちなんだ名前なのでしょう・・・か?
かつて利根水運の中心地であった頃を偲んで、共栄橋~中橋と三十分ほど自転車を走らせた後、小江戸の景色に別れを告げて、東へとペダルを漕ぎます。

大きな鳥居は東国三社の一つ、香取神宮の一の鳥居。神武天皇十八年(紀元前643年)創建とされる、香取神社の総本社です。主神の経津主大神(ふつぬしのおおかみ)は、葦原中国平定においてタケミカヅチ(鹿島神宮祭神)とともに出雲へ派遣されたと日本書紀に記されており、故に軍神・国家鎮護の神として崇敬を集めて来たとのこと。徳川綱吉によって建立された社殿や桜門など見所は多い社ですが、本宮はさらに2キロ東にあり、とても参拝する時間はありません・・・やはり利根水運の名残であろう、大きな河岸を跨ぐ橋を渡って再び利根川右岸に戻ると、堤防上を走る道は、先ほどまでとは打って変わったガタガタ道。なんとか1キロほどは我慢しましたが、ペースが落ちる一方なので小見川大橋の南詰から利根水郷ラインに戻り、車に交じって走ります。川砂利?産廃?・・・を運ぶダンプカーが多く、神経を遣います。成田線の線路と利根川に挟まれた道を進み、自宅を出てから10時間目の午前11時前に、ようやく銚子市へと入ることができました。ほととぎす  銚子は国の  とっぱずれ。かつてのイワシ漁や、利根水運の千石船から高瀬舟への積換え港として繁栄した河岸はスルーして、一刻も早く犬吠埼に着きたいと先を急ぐうち、まず目にしたのがこの標識。直進・右折とも犬吠埼!?一本の道が岬をぐるりと回っているということなのでしょうか?どちらが近いか調べようと地図を広げますが、例によってダソー謹製1:185,000図では市街地の道路の判読は無理で、現在地さえ判然としません。直進方向には君ヶ浜と云う見慣れない地名があるのに対して、右折方向は犬吠埼のみが書かれているので、こちらの方が近道と判断し、急な坂道へとハンドルを切ります。息を切らして這い上がると、銚子電鉄の踏切。辻毎に地図を確認して進みますが、薄暗い小路の先に「本銚子駅」がある筈。踏切から2キロ弱南東に走りますが、一向に岬に近づいている気配がありません。行きすぎてしまったかと、海の方向に向かいそうな小路を探しつつ戻るうち、再び踏切を渡ってしまいました。ちっとも「本調子」じゃないよ・・・(T_T)道の右側が海だと思い込んでいたので、釣具店や魚屋が軒を連ねる横丁へ。同年代に見える男性が歩いて来たので道を尋ねると、最初の道を引き返さず3~4キロ行った場所を左に曲がるという。
---案内板とか、標識の類は出ていますかね?
「昔はあったけれど、今はどうだったかなぁ・・・最近はあまり行かないので分からない」
行程は漸く半分に差し掛かろうという所なのに、思いもしなかった場所で右往左往。犬吠埼って、もっともっとメジャーな観光地だとばかり思っていたのですが・・・
先程引き返した農協の前を過ぎ、500mほど走ったものの相変わらずそれらしき案内は無し。散歩されている初老の紳士の足を止め、再び先ほどの男性にしたのと同じ質問をぶつけると、少し首をかしげたあと、800mほどで犬吠埼入口の案内があった様な気がする・・・と仰います。
但し、その道は上り下りがあるので自転車で立ち入るのは勧められない、という。
「犬吠埼ホテルの前を通る方が、自転車では早うございますね。」
思い切って声掛けさせて頂いた時は藁をも掴む気持ちで、相手の服装にまで気が回らなかったけれど、フェアアイル・セーター・凝った刺繍が施されたシャツ・エスパドリーユの上の、裾をやや短めに履いたフランネルのスラックスは脚の形にピッタリで、これだけで私の月の稼ぎ位はしそう・・・上品な飴色のフレームがオリバー・ピープルズだということは、ブランドに疎い私でも分かりました。
「曲がり角は分かり易いのですが、上って、下ってなので、お止めになった方が宜しいと思います。」得も言われぬ語尾の柔らかいアクセント。山の手言葉なのですが、気取った響きにも、厭味にも聞こえないのは、生まれた時から美しい言葉を使って然るべき環境に、身を置いて来られた・・・ということなのでしょう。
そして、若輩の私に対してもこの心遣い。
「どちらからいらしたんですか?」
いつも口上を聞いて頂きました。煩わせたお礼を述べて、教えられた方向へ自転車を進めます。
てっきり目指す岬は南西方向と思い込んでいたのですが、銚子電鉄の踏切を北東に渡るべきと、先ほどの老紳士に教えられました。半信半疑でペダルを漕ぎ、海浜らしい松林が切れた刹那、泡立つ白波が目の前一杯に広がっていました。
大・海・原・! おおうなばら!
青空に目指す灯台が屹立しています。平日なので駐車場も土産物屋さんも閑散とした雰囲気。180キロを後にした感慨もそこそこに写真を撮っていると、地元ナンバーの小型車から降りて来られた年配の婦人から、声を掛けられます。お定まりの口上をお聞き願った上に、灯台を背景に、自転車と私をバッチリフレームに収めて下さいました。ありがとうございます!
遊歩道の柵に自転車を固定。駐車場脇の立派なアンテナが目を引きますが、これは以前、「GPSロガーの機種選び」という記事で取り上げたGPSの位置補正方法の一つ・ディファレンシャルGPSの地上局らしいです。GPSport245のチップはDGPS対応の筈(MTK3318)なので、今この瞬間補正されているのかなぁw?・・・ヘルメットに目を留めたチケット売場のお姉さんにも自転車のお話を聞いて貰って、いざ99段の階段が待つ犬吠埼灯台へ!!
「銚子の河口のてんでんしのぎ」という言葉が残る通り、鳴門海峡や伊良湖水道と並ぶ海の難所と船乗りたちに恐れられた犬吠埼に、西洋式灯台が建設されたのは1874年(明治7年)のこと。明治政府のお雇い外国人の一人であった英国人建築家ヘンリー・ブラントンは、7年6ヶ月の在日中・実に26の灯台を造りましたが、その一つがここ、犬吠埼灯台で、彼の日本での最後の仕事である下関市の角島灯台(明治9年初点灯)と共に、一等灯台に位置づけられています。灯台は使用されるレンズの焦点距離の長さによって一等から六等まで格付けされるとのことですが、第1等レンズ(高さ約2.59m・内径約1.84m・焦点距離 92 cm)を使用した灯台は、日本では5ヶ所しかないとのこと(wikipedia『第1等灯台』より)。建設当初は石油灯でしたが現在は400wの電球に置き換えられ、15秒に1回転しながら19.5海里(35キロ)先の海上まで光を届けます。「日本の灯台50選」であるとともに、「世界灯台100選」にも選ばれた由(以上wikipedia『犬吠埼燈台』及び第三管区海上保安本部『犬吠埼灯台について』より)。灯塔はなんと、石造りと煉瓦の二重構造になっているそうで、これはブラントンが日本製の煉瓦の強度に不安を感じていたことと、母国イギリスと異なり、地震が多発する地理的要因を考慮した為と言われています(一般財団法人日本建築センター『らぴど』第五号「灯台に反映された日本の近代」加藤勉・藤岡洋保より)。煉瓦造りの灯塔としては日本で二番目の高さ(一番は青森県の尻屋埼灯台の塔高32.8m)なのだとか・・・階段上りのキツイこと、キツイこと・・・(T T)
・・・息も絶え絶えで辿り着いた塔上からの眺めは、ますますの 大・海・原・! おおうなばら!
太平洋の彼方から打ち寄せて来る白い波頭が、眼下の岩礁に砕ける様は壮観です。午後一番の潮風は気持ち良くて、時間が許す限り吹かれていたかったのですが、なにしろまだ行程の半分しか消化していないのですから、そんな贅沢は許されません。。。 擦れ違いが難しい階段を降りて、資料館(太平洋戦争で一部壊れたため国産レンズ取り換えられた、灯台建設当初のフランス製レンズなどを展示)を急ぎ足で見学させて戴き、灯台を後にします。
当座は国道126号に出なければいけないのですが・・・と、イルカショーで有名なマリンパークをやや過ぎた所に「千葉・国道126号→」の青看が。案内に従って銚子電鉄の踏切を三たび渡ると九十九折れる強烈な上り坂。「地球が丸く見える丘」だそうですが正直、自転車を漕ぐので精一杯。。。ひとしきり下ると今度は苦手な真っ直ぐ系。海岸の段丘を正直にトレースして上り下りする道の様で、これって、君ヶ浜の紳士が「止めた方がいいですよ」と忠告して下さった道なのでは・・・その証拠に、先ほど左に曲がった箇所を真っ直ぐ行った道が、こちらのやや北側を並走している様子が見え隠れしていますが、あちらの方が全然平坦で楽チンそう・・・(T T)北に曲がればいいじゃないかって?3キロ近く並走するくせに二本の道の間は浸食された段丘崖が東西に走っていて、互いに行き来する道が見つけられそうもない・・・(T T)
なにしろ、屏風ヶ浦に沿って走っているので。
銚子の外川から飯岡の刑部岬にかけて、約10キロにおよぶ断崖で、英仏海峡の大断崖になぞらえて「日本のドーバー」と呼ばれるているそう。そういえば、今の道に入る際「ドーバーライン」と書かれていたような?アップダウンに堪らず道脇で休憩をとると、今も浸食を繰り返す太平洋の波涛が、手を伸ばせば触れられそうに感じられるほど、すぐ側で弾けているのでした。灯台から30分ほどで国道に合流。若いお母さん達で一杯のファミレスで昼食休憩。ここまで187キロを12時間で走り、総平均速度は15.5km/h。寒いけれど、ドリンクバーは欠かせない。
『天保水滸伝』の悪役・飯岡助五郎って、確かこの辺の人ではなかったか?・・・などと想いを巡らせながら、もう少しゆっくり休みたかったのだけれど、キャッシャー前は空席待ちの親子連れで一杯なので、痛む尻を無理やりサドルに引き上げ、西を目指します。
いよいよここからは復路。震災の時津波の被害を受けた旭市・匝瑳(そさ)市を抜けて、八日市場へ。大好きだった『ちい散歩』みたいに軽快にコトは運ばず、這う様なスピードでR296に入りました。多古を目指して漕いでいる時だったか、西日を浴びた里山の美しさに、思わずペダルを漕ぐ足が止まりました。下総と上総の境界あたりを走っているのでしょうが、都心から60キロ程しか離れていないにも拘らず、長閑ないい所ですなぁ~\(-o-)/
・・・
60キロて・・・
染井の交差点で常総大橋へ向かう県道と分かれると、芝山町との境は台地に這い上がる結構きつい上り坂。喘ぎつつ足を回していると、空港へと降りる旅客機の、鱶のような腹が夕暮れの空を滑るのが見えました。工業団地のような場所に出てふいに足が楽になると、そこは有名な三里塚。悪名高い石井四郎の出身も、この辺りだったような?それにしても、冬の夕暮れの寂しさよ。ゴルフ場が散在する丘陵地帯を抜けると、徐行する車と並走する時間が長くなり、佐倉に入ると完全に渋滞に嵌まってしまいました。なにしろビンディングペダルを使い始めて半年程度の初心者なので、渋滞の左側の狭い路側を抜けるのに、非常に神経を遣います。30キロ余りを後にして、成田街道から千葉街道へ入っても状況は変わらず、疲労困憊。1キロが10キロにも感じられる船橋の沿道はクリスマスムード一色で、華やかなイルミネーションの下をカップルさん達がそぞろ歩きしています。私ってば、こんな日にこんな所で、一体何をやってるのだろ。。。orz
ネズミ取りみたいな格好の市川橋を渡っても余り状況は好転せず、渋滞の左をバッツン!バッツン!・・・SPDの付け外し音を響かせながら、メーター読み10~12km/hで匍匐前進。例の足首をひねる動作を繰り返したせいか、一瞬左足が攣り、真っ黒いベンツのスモーク窓にダイブしそうになるのをすんでの所で回避したり(^ ^;)隅田川を渡れば、多分寝てても帰れるのだろうけれど、恥ずかしながらお尻が限界で、横浜まで30キロの青看を目にしても、とてもじゃないですが心躍る状態とは・・・日本橋~銀座はクリスマス・イルミネーションが煌びやか。行き交う人たちも着飾って華やかな雰囲気・・・実に、ワタシとは縁が無い(T_T)
多摩川を渡ってからはゾンビ状態。『超男性』ではないけれど、自転車が勝手に脚を回してくれた様で、死人でさえ私より早く走ることは出来たでしょう・・・

なんとか日付が変わらないうちに帰ることが出来ました(^ ^;)



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2 件のコメント:

横尾寿秋 さんのコメント...

すごい距離を走りましたね~
しかも日照時間の短いこの時期に!!
これは驚きですよ。
この半分の距離でも私は帰りに全身が痛くなりますよ。
私は今は近場で100km以内ですよ。
いや~これは凄い!!

ボラザぢぃ さんのコメント...

タマチャリンさま
毎度ありがとうございます。m(_ _)m
一昨年のライドを今頃まとめたのですが。。。
峠や林道が入っているならともかく、平地だけですので、私みたいにダラダラ漕ぐ暇さえあれば、どなたでも走れてしまう距離ではないかと、、、
文章の方も相変わらずてにをはすら、間違いだらけですし・・・
無用な繰り返しが多くて、標準的な国語力の持ち主なら3分の1程度に刈り込める内容でしょう、、、
ロードバイクだと、皆さんこれ位は走られているようですよ。
正月に書き進めたもので更新してきたので、そろそろネタ切れで、ペース落ちます(^ ^;)
色々お気遣いいただき、ありがとうございます。