2014年5月2日金曜日

所沢・川越・野山北公園自転車道

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↑『カサブランカ』のラストシーンみたいじゃないですか?ただし、映画の中でバーグマンを乗せて飛び立ったのは、ロッキード・エレクトラでしたが・・・

アベノミクスによる恩恵は皆無の負組ゆえ、年度初めにも関わらず忙しいということは全く無く(^ ^;)睡眠は充分に取れている筈・・・なのに頭から肩に鉛が入っているような疲れが抜けず、中途半端に体が開いた日でさえ、例年よりしつこい花粉症&関節炎に悩まされ、とてもじゃないですが自転車に乗る気持ちになどなれず・・・気が付けばひと月もブランクが出来てしまいました。今日こそはと、三時に起きて神流湖へ行きたかったのですが、いざ目覚まし時計が鳴ると体が重いよ・・・というわけで、結局二度寝。おやすみ自転車。
八時にベッドを這い出して、折角の休日何をしようかと考えながら遅い朝食を摂ります。まだ何となくだるいし、まだ見ていないDVDってあったっけ・・・『アタック・オブ・ザ・キラー・トマト 』スペシャル・コレクターズ・エディション・・・むしろ拷問だ。出掛けよう・・・

チャーシュー号を寝床から引き出し、鶴川街道で稲城を抜けて是政橋へ。いつぞやみたいに鍵を忘れることはありませんでしたが、今日は地図を忘れて来たよ・・・(T T)府中競馬場の北を回って、飯能・奥武蔵方面へのバリエーションルートとして以前から考えていた小金井街道へ入ります。渋滞ばかりなのに道幅が狭い為すり抜けもできず、平均速度はずっと20km/h以下。R20から所沢まで16キロ足らずの区間で、五日市街道・青梅街道・新青梅街道といった交通量が多い道と交差する上に、花小金井駅・清瀬駅の西武線の踏切もあって、肺の奥まで排ガスを吸いながらのゴー・ストップを、延々と繰り返します。駅前は歩行者と狭い路側を分け合いながら走る感じですし、舗装は悪いしで、全く良い所が無い道。二時間半も掛かり航空記念公園に着きました。
南側のゲートから航空発祥記念館の方へ、ゆっくりと自転車を漕いでゆきます。瑞々しい若葉のトンネルは気持ちいいです。今年はあいにく飛び石になってしまったものの、連休初日とあってお子さん連れの若いパパの姿が多いようです。多摩・武蔵野在住の方は周知のことと存じますが、戦後米軍が管理していた所沢飛行場を昭和46年に返還を受けた後、日本で最初の飛行場がここに造られたことを記念して県が公園として整備したものです。本邦初の動力飛行は明治43年12月・陸軍の徳川好敏・日野熊蔵両大尉の手により代々木練兵場において行われましたが、ここ所沢飛行場では翌明治44年・国産第一号機が、徳川大尉の手により初飛行に成功したとのこと(wikipedia『所沢航空記念公園』『会式一号機』)。国産第一号機のレプリカは航空発祥記念館で見ることが出来るとのことですが、走り足りないので今日はスルー。公園のシンボル・元自衛隊のC46で我慢することに。第二次大戦中に作られた通称カーチス・コマンドと呼ばれる輸送機で、旅客機というよりも貨物機としての性格が強い為に、同時期に1万機以上も作られたC47ダコタ(戦後国内線で使われたDC-3の軍用型)の影に隠れてしまっていますが、C47より高い上昇限度を活かして、ヒマラヤ山脈を越える援蒋ルート「ハンプ越え」や、山岳国ラオスにおけるホーチミンルート攻防の秘密戦争で多く用いられたことが知られています。説明板より引用します・・・
    C-46中型輸送機(天馬)

    C-46型輸送機は、アメリカのカーチス・ライト社が1940年3月から総数3,180機を製造しました。
    当初は軍用輸送機として使用されていましたが、戦後は数多くが民間旅客機として使用されました。
    日本では、昭和30年1月航空自衛隊の輸送機としてC-46D型機を初装備し、昭和34年12月にはC-46A型機を輸入して総数47機を保有していました。この輸送機は『空のデコイチ』とも呼ばれ、航空自衛隊では災害時の緊急物資輸送などに広く活躍しました。
    ここ所沢航空記念公園に展示しているC-46A型輸送機は、航空自衛隊入間基地で使用されていたものを、昭和55年3月に分解・運搬し、当公園のシンボルとして設置した物です。(以下略)

検索して見つけたのはオランダの"Old Wings"というサイトにあるpdfファイル。製造No.293/CK270の本機は1946年4月に米空軍(登録No.43-47222)から中華民国空軍(登録No.347222)に譲渡後、1959年に"Japan Air Force"(!)に売却、91-1143号となった・・・とあります。この資料に見えるCNRRA Air Transport(中国救済復興機関航空輸送?)社やCivil Air Transport(民航空運公司)社は、有名なエア・アメリカの前身/子会社といった関係らしいです。冷戦時代の古強者が佇む広場は子供たちの格好の遊び場といった様子。ボール遊びに興じる親子連れの間を進むと、航空路の交通整理を行っている"Tokyo Control"こと、東京航空交通管制部の通信塔が聳えるのが見えます。芝生の上で30分ほど春の日差しを楽しんでから西武新宿線の駅前に出て、元ANKのYSをパチリ。様々な形のアンテナが散在する通信基地を右に、川越所沢線「かわとこ線」へ入ります。

大きく北へ湾曲して流れる入間川と荒川本流に挟まれた武蔵野台地の北の端を、真っ直ぐに貫く快走路。10キロ近く延々と畑の中を走らされるので景色は単調ですが、舗装がスムーズで道幅広く、渋滞するほど車が多いわけでもない為、この日一番気分良く自転車を漕ぐことが出来ました。GPSの速度計を概ね30km/h前後に保ってR16を越えます。川越駅の手前400mほどからノロノロに。半径300mほどの範囲に鉄道の駅が三つある訳ですから混む筈です。西武新宿線の本川越はともかくとして、東上線の「川越」駅と「川越市」駅って、なぜこんな近いのでしょうか?航空公園を出てから30分ほどで本日第二の目的地・小江戸川越の蔵造りの街路に到着しました。
  電柱や電線の類が一切見当たらないスッキリとした街路は、「美しい日本の歴史的風土100選」に選定されているとのことですが、連休初日ということもあり大変な賑わいです。人混みに押され気味でアップアップしていると、自然と視線が上を向いて、黒光りする重厚な甍に目がいきます。梁や柱・壁に比べて異様に大きく映る鬼瓦や箱棟をもつ建物群は、明治26年の川越大火の後、耐火性の強い土蔵造りを基本にして建て替えられたものといいます。一般に土蔵造りは防火性を重視した分厚い土壁に白漆喰を塗ったものを指すそうですが、川越の街並みは防火性をやや犠牲にして店舗兼住宅としての使い勝手を良くするため、間口・開口部を大きくとった「見蔵造り」という建築様式で、各所にみられる装飾も往事の川越商人の財力を偲ばせるに充分な、贅沢なものです。 蔵造りの街並みの中心に有名な「時の鐘」が聳えています。時間に正確だったという川越城主酒井忠勝が、寛永年間に城下に建てたものが最初とのことですが、現在見られるのは明治の大火の翌年に再建されたものとのこと。連雀町~仲町~札の辻までが蔵造りの街並みの中心で、そこから北側は観光客も消えて走り易くなる・・・のですが、帰路の事を全然考えていませんでした(^ ^;)

R254で都心に向かい、環八→R246で帰るか、かわとこ線まで戻って入間経由で帰るか・・・どちらも新鮮味が無く、気乗りしませんなぁ。。。いっそ最短距離で帰ろうかとR16に入ったのが間違いのもとでした(T T)
トラックが多く、路側が大きく波うっている上に向かい風で、バイパスなら平均速度も上がるのではないかという読みは完全に外れました・・・車を運転している時には気が付かなかったのですが、川越から入間の間ってず~と上り坂だったんですね・・・(T T)一度もメーターが20km/hを超えること無く、箱根ヶ崎に到着。まだ15時半を回った所なので、多摩湖でも見て行くかな・・・桜はとうに散ってしまったでしょうけれども。
新青梅街道へ入って暫く漕いだ頃、ネットサーフィンしていた時に知った廃線跡の事を思い出しました。うろ覚えの記憶を手繰り寄せると、確か横田基地の東側から多摩湖まで延びていると書かれていたような?路側に町内会の防災地図があったので自転車を停めて確認すると、新青梅街道の南側に「自転車道」と記された細線が、多摩湖に向かって真っ直ぐ描かれているではありませんか!知らなければ見落としてしまうような分かりづらい場所に、「自転車道」の入口はありました。風の強い日が何日か続いた後だったので、ロードのタイヤだとややキツイかな?と感じるほど落ち葉や枝が多く積もる小路をやや往くと、由来を示す説明版がありました。
    村山貯水池に多摩川の水を引くため、羽村の堰から導水管を埋設しました(大正13年完成)。その工事の資材を運搬するため、軽便鉄道「羽村・村山線」を敷設しました。その後、山口貯水池堰堤工事(昭和7年完成)に多摩川の砂利や材料を運ぶため、導水管の上に軽便鉄道「羽村・山口線」を敷設し、横田・赤堀・御岳・赤坂トンネル等も掘りました。現在の野山北公園自転車道は、その軽便鉄道の跡地を整備したものです。
横切る道が多く、その度に止まるので移動速度という点では街道を往くのに比べ大幅に落ちますが、プロムナードとしてはちょっとしたベンチや木陰が多くて、雰囲気が良いと思います。歩行者・特に子供が多いので、当然配慮は必要ですね。2キロほど走るとトンネル( ゚∀゚ )キタ━━━!!!
↑こんな感じのが4本続きます。完全に生活路という感じです。
軽便鉄道のトンネルですから少し撥ねれば天井に手が届いてしまいますし、自転車同士が擦れ違うのにも気を遣います。子供たちの往来が多い様子なので、防犯という点から照明は必要でしょうが、あの無様なシャッターはもう少しどうにかならなかったのかと思います。赤坂トンネルを東に抜けた先はダートで、25Cのタイヤで走るのは気が引けたので御岳トンネルとの間まで戻ります。廃線跡のトンネルは、本当はあと二本あるとのことですが、赤坂トンネルのすぐ北側に位置するものは通行止めで、もう一本は湖北側のトレイルに入らなければ見ることは出来ないとのこと。森の中ではママチャリ少年団が「翼をください」を熱唱中。あんまり上手じゃないけど、懐かしい曲でオジサンちょっと嬉しかった(^ ^)多摩湖への道を尋ねると、横田トンネルの西側まで引き返してから車道を北に走らなければ行けないとのこと。季節のせいかトンネル内の漏水が多く、磨いたばかりの自転車に泥撥ねを作るのも嫌だったので帰ります。ちっせー男。(^ ^;)

トンネル手前を勘に頼って南へ進むと小さな神社があり、すぐ脇に立つ町内地図を見ると、三叉路から右に伸びる道のところに小さく「所沢武蔵村山立川線」と記してあります。軽トラに追われるように、半信半疑で細い道を行くと、新青梅街道との辻から一気に道幅が広がって、幹線道路っぽい雰囲気に。昔、日産の工場があった場所の東側を通っているようで、4キロ/15分ほどで昭和記念公園の北側に出ました。チューリップガーデンがそろそろ見頃かと思いましたが、あと30分で閉園なのでスルー。日野橋を渡って多摩ニュータウンを経由し、19時帰宅。昼間は汗ばむほどの陽気でしたが、陽が落ちてからはウィンドブレーカー無しではやや寒く感じました。
ひと月ぶり今回も薄味の更新で・・・m(_ _)m

徐々に間隔が延びて、フェイドアウトしそうな雰囲気ですよねぇ・・・
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筑波鉄道の廃線跡・桜川土浦自転車道・つくばリンリンロードを走った時の記録←新タブで2011年9月11日付記事が開きます。